アンリ・シバの旅日記

列車で巡る南ドイツの旅(バイエルン地方)

南ドイツ旅行・珍道中記

第11日目 4/18(金) フランクフルト → 東京

ドイツへ来るときは機内で出てくる冷たい飲み物はガブ飲みし、好きなコーヒーは何杯もお代わりしてお腹をこわした。帰りは少し自重しようと思った。往きの機内食は洋食を食べたが美味しくなかったので帰りは和食を食べようと決めておいた。

 東京に居るときはあまり外出はしていなくて歩いてはいなかった、自分でも脚力が弱っているように感じていた。旅行中は朝から夜遅くまで一日中歩き廻った。まあ、よく歩けたものだと感心していた。列車の時刻、ホテルの場所、見学箇所の内容と場所、街の地図、その他見学地の地理的な知識などは旅行前に1ヶ月間掛けて研究し頭の中に入れておいた。現地では時刻表、地図、ガイドブックなどで確認しながら行動した。他の人は殆ど事前研究をしていなかったので私が添乗員の役をするようになった。9日間よく歩いたのと、全員が怪我なく、予定した見学場所を出来るだけ無駄なく廻れるよう気を遣ったせいもあり、飛行機が無事離陸したら疲れが出てきたようであった。

 知らぬ間に二人ともすっかり寝込んでしまい、若者がよく言う「爆睡」の状態であったらしい。ふと気が付くと周りの客は殆ど夕食を食べ終わるところであった。スチワーデスに「私たちは夕食を貰っていない」と言うと「よくお睡(ヤ)眠(ス)みのご様子でしたので、お声を掛けませんでした」と言う。和食を注文すると洋食しか残っていないと言う。やっぱり皆さんも洋食は不味いので和食にしたに違いない。どうせ余っているだろうビジネス客の和食を回せばいいものをそういう事はしない。他の客の手前もあるだろう、眠っていた私たちも悪いので仕方なく不味い洋食で我慢することにした。食後に一服したいところだが全席禁煙である。片道12時間、往きも帰りもよく禁煙出来たものだと自分を褒めてやりたい気分だ。

 ユーロが少し残っていたので機内で免税分の煙草を仕入れた。ユーロ、円間の交換レートを有利なレートで扱ってくれた。JAL Card を使えばもう少し安くなることが分かり、Kさんが自分のカードで買って後で精算しようと言ってくれたが、スチワーデスが面倒くさそうな顔をしたのでやめた。H子さんも何か買ったような気がしたが何を買ったか分からない。

 煙草は吸えないし、座っているのも退屈してきた。そろそろ日本の上空に差し掛かっていても良いのではと窓から外を見ると雪で覆われたシベリアが見えた。往きも退屈したのがロシアのサンクトペテルブルク上空であった。狭い所に閉じこめられ、我慢して座っているのも9時間が限度で10時間を超えるとイライラしてきて、それからの1時間、1時間が長く感じられる。


雪に覆われたシベリア

 やっと成田空港に到着した。急いで入国審査カウンターに行っても、どうせ混雑しているだろうと思いトイレに立ち寄ってゆっくり行った。入国審査官が日本語で喋ってくれる。コミュニケーションをとるのに相手の言っていることに神経を集中して訊かなくても良いし、また英語でどのように言えば良いのかいちいち考える必要がないのはどんなに楽か、頭の中はドイツから日本へとすぐ切り替わった。入国審査官が「何か申告しなければならない物を買ってきましたか」と訊くので「そんなものを買うような金はありません」と言うと「それはどうも、ご苦労様でした」と言った。何がご苦労様だったのか今でも分からない。成田空港の入国審査官は細かいことをぐづぐづ言わない。以前オーストラリアから帰ってきたときの関西空港の女性審査官は、煙草はいくつ持っているかなど、どうでも良いような細かいことを言って、さも仕事をしているような顔をしていた。麻薬の密輸入や無届けの高価な貴金属類の輸入などに眼を光らせれば良いのである。

 スーツケースの宅配を頼み身軽なスタイルで京成線特急に乗り、本八幡で都営地下鉄新宿線に乗り換え帰路についた。新宿でKさん夫妻、S夫人、Y夫人と別れ地上に出ると相変わらずの喧騒の街であった。若い頃からよく行っている天麩羅屋「つな八」に行った。メニューを出されたがメニューを見なくてもいつも食べる物は決まっている。久し振りの日本食をゆったりした気分で食べ、乗り慣れた小田急電車で成城に向かった。私たちはシルバーシートに座っていたが、犬や自転車が乗っていたドイツの電車とは雲泥の差で押し合い圧し合いの混雑であった。
(完)

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 珍道中記も2ヶ月半かかってやっと書き終わった。最初はこのような旅行記を書く予定は全然なかった。「旅行中のエピソードがあったら聞かせて欲しい」という希望があり、初日からハプニング続きの旅行で、そのエピソードを少し書いたら、「面白いから続きを聞かせろ」と言われ、ハプニングの続きを書いているうちに「親戚全員に配るときっと面白がるからみんなに見せた方が良い」とおだてられ、毎日がハプニングの旅行だったので、旅行の最初から最後まで書く羽目になった。

 こんなに全行程を書くのであれば、ここではこんな事があったとか、あそこではあんな事があったとメモを書いておけば良かった、メモがあればもっと早く書き終えただろう。東京と八ヶ岳を行き来していて一気に集中して書くことが出来ず、またメモが無いため続きを書き始めるとき頭の中をタイムスリップして旅行をしていた状態に戻し、記憶を呼び戻しながら、その記憶を頼りに書き進める状態であった。時間が経つうちに見学した建物の内部や壁画などが、どれがどこの建物にあったのか一緒になり混迷する。一緒に行った人はこの珍道中記は見ていない。もし見ていたら私が忘れている事でこんな事もあったというような事があるかも知れない。もともと作文は苦手で子供の頃、学校で作文の宿題が出ると困っていた。自分が見たこと、感じたことを文章で描写することが出来ない。年を取ってくると言葉を忘れる。こういう時にピッタリ合う言葉があったと思いながらその言葉が出てこない。ひらがなで書いた方が良いのか漢字が良いのか、どの漢字を使うのか分からなくなってくる。句読点の付け方もシッチャカメッチャカである。まぁ、物書きを専門にはしていないので、そんなことには眼を瞑ってもらって、どんなにズッコケた珍道中だったか分かっていただければ幸いである。団体ツアーでは味わえない貴重な経験ができ、同じコースであればガイドが出来るくらいである。ローテンブルク、ミュンヘン、ハイデルベルクはもう一度訪ねても良い街である。もし、どなたか行かれるようでしたら私をガイドに雇って下さい。

 この様な、団体ツアーでは味わう事が出来ない貴重な海外旅行が体験出来たのはKさんが誘って呉れたお陰である。お腹をしょっちゅうこわして、バスで移動する団体ツアーは出来ないという私に、それではトイレの心配がない列車で廻る旅行を計画しよう、あなたが作る計画で良いからと言ってくれて実現した。現地を見学するだけでなく、計画の段階で随分勉強出来た。このようなチャンスを与えてくれ、旅行中も大変お世話になったKさんであるが、そのKさんの悪口のような事が時々出てきて、私だけがいい子になっているこの珍道中記を読むとKさんは気分を悪くして怒るかな~。でもKさんには感謝!! 感謝!!

 地図や写真を挿入すれば描写出来なかった部分を少しは補うことが出来るが、写真は未だ整理をしていない。またカメラは新しく買った物を持って行ったので使用方法に慣れていなく腕も良くない、従ってまともな写真がない。せっかくこんなに長い文を書いたのだから、そのうち地図、写真を挿入してまとめて見てはと言う人もいる、が地図・写真を入れてまとめるのは何時になることか分からない。今年中に出来るかなぁ?

2003 ・ 8 ・ 3  

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 珍道中記に写真を入れるのは何時なのか、という催促がきてから随分経った。4月8日が来ると1年になる。写真の整理・加工は未だ出来ていない。何はともあれも4月8日までにはやって置きたい。珍道中記に載せる写真だけでも選ぶのが大変だ。城や宮殿の内部で写真が撮れなかったところは絵はがきの写真を借りることにした。  珍道中記に載せていない写真を整理して、アルバムを作って置きたいがそこまではなかなか出来ない。写真集は整理ができ次第後ほど追加することにする。


写真について

城、宮殿、それらの内部など撮影出来なかった所は、そこで販売されていた絵はがき、カレンダーの写真などを拝借した。また、ミュンヘンについては「Isar-Athen Munchen」の写真をいくつか拝借した。
2004 ・ 3 ・ 23  


 本文に写真を入れ、写真集の整理をはじめて殆どできたかな? というところまで来たところで、 HP は不特定の人が見るので顔がはっきり判るのはまずいのではないか、という事でまた作り直すことになった。一応4月8日までには出来たが写真集の写真に説明を付けるところまで出来なかった。また、宿題が残った。
2004 ・ 4 ・ 7