朝食はビュッフェ形式だ。好きな物を好きなだけ食べられる。昨夜の夕食の時、食堂でのお客は私たちのグループと外人の家族の2グループであった。今朝はそれに日本人の新婚らしい夫婦が居た。ハイシーズンでないこの時季は観光客(宿泊客)は少ないらしい。それでもビュッフェの料理の品数は結構多い。フランクフルトのクイーンズホテルほど大きくなく、宿泊客も少ないのに手を抜くことなく料理をサービスしている。驚くことに日本食も準備されていた。ご飯、味噌汁、梅干し、ふりかけ、・・・等がありK夫人は美味しいと言って食べた。今は経営者が替わり名称も変わったが、シドニー(オーストラリア)のダーリングハーバーにあった日航ホテルの日本食は、これがコックが作った物かと思われるようなものをサービスしていたが、アイゼンフートの日本食は見た目にも美味しそうであった。
今日の予定は午前中ローテンブルクの街を見学し、午後はあのノイシュバンシュタイン城があるホーエンシュバンガウへ向かう。
ローテンブルクはロマンティック街道のハイライトの一つでタウバー川沿いの高台にあり、町並み全体が中世を再現したスタジオセットのようだ。30年戦争の終わった17世紀半ば以降、商業ルートからはずれ干渉を受けなかったことが功を奏し、昔の姿が残った。同じくロマンティック街道にあるディンケルスビュールやネルトリンゲンと同じく市壁に囲まれた小さな街である。市壁内の主要なみどころを全部回っても2時間あれば充分といわれている。
最初に中世犯罪博物館に入って見た。中世ヨーロッパの刑罰や法律史に関する資料を集めたユニークな博物館で、見せしめのために使った「恥辱のマスク」や棺桶のふたに無数の大きな針を仕込んだ「鉄の処女」など、当時実際に使われていた拷問具や刑具などが3000点以上揃っていた。中世の人々の暮らしの中で掟やきまりに背けば、どういった罰がまちかまえ、どう制裁が加えられたかを少しは知ることができる。日本のどこかの学校のきまりの様なものもあり、ユニークなものが沢山あって笑ってしまった。
例えば、
●服装規定に反した女性は、木製のカラーが首にはめられる
●おしゃべりの過ぎる女性には、舌がのびた辱め用のマスクをかぶせる
● ふたりのいがみ合う女性には、二輪首かせが首に挟まれる
●豚のように振る舞う男性には、ブタのマスクがかぶせられる
●居酒屋での常連の大酒飲みには、首だけ出る飲んべえ用の樽に入れられる
●不熱心な信徒には、大きなロザリオが首にかけられる
●不道徳な女性には、懲らしめのため鉄でできたマントを着せる
●身持ちの悪い女性は、バイオリンの形をした首かせをはめられる
●怠け者の生徒は、木製のロバにまたがらされる
●目方をごまかし、パンを小さく焼いたパン屋は、水責め用の檻に入れられ水責にされる。
等々である。
今の日本では、犯罪者でも人権が守られていて人前には出さないが、当時はすべてさらし者になったようだ。展示物の説明がドイツ語だけでなく、英語にまじって日本語もあった。ここも日本人の観光客が多いことが伺える。あまりにも展示物が多く、予定していた時間を大幅に超過した。
中世犯罪博物館入り口
不道徳な女性に懲らしめのために着させる鉄のマント
目方をごまかしたパン屋を水責めにする檻
いがみ合った2人の女性には、このような二輪首かせで 2人並べられ首と手が挟まれる
ローテンブルクでは中世の町並みを見るのが一番の目的であったが、中世犯罪博物館で時間を取りすぎため急いで廻る事になった。犯罪博物館の隣りの聖ヨハネ教会からシュピタール区へ南下する通りウンテレ・シュミート・ガッセをプレーンラインまで歩く、ガッセ(狭い通りのこと)の両側には巧みな造りの鍛鉄製の張り出し看板が沢山見られる。通りの名に示されるように、シュミート(鍛冶)・ガッセ(通り)に沿っては鍛冶職の棟が多くあった。ローテンブルクは中世当時の城塞都市のたたずまいを今なお現存する街としてよく知られているが、市内各所のロマンチックな情景の中でも、誰もが最美と賞賛するのが「プレーンライン」だそうだ。その名の由来は、プラーン(プラン:平面、平らな所)で、タウバー川に架かる二層橋から坂道を上って来て「さあ、ようやく平らな所に来たぞ」と、ほっと一息つける場所ということである。市内には沢山の塔と門があるが、この地区は内側から見ても、外側から見ても絵になる景色である。
ローテンブルクの街はこのように市壁で囲まれている
赤い屋根がきれいなローテンブルクの街並み
街の建物には、このような鍛鉄製の張り出し看板が沢山見られる
市壁の上の内側はこのように通路になっているて、見張りや
街を守る兵士が移動出来るようになっている
マルクト広場からシュピタール門へのプレーンライン
中程にあるジーバー塔
時間に追われ、ゆっくりする暇もなく聖ヤコブ教会へ向かった。市壁は内側が通路になっていて見張りの歩哨が歩ける構造になっており、門のところで上り下り出来るようになっている。私たちもシーバーの塔の近くから市壁に上がり、上から赤い瓦の町並を見ながら駅から直接街へ入って来る通りにあるレーダー門まで歩いた。レーダー門から目的の聖ヤコブ教会まではたいした距離ではないが、女性軍があちこちの店を覗くのでなかなか進まない。馬車に乗って市内を見学している一団にも会う。やっと聖ヤコブ教会に着いた。
聖ヤコブ教会は1311年に着工、15世紀末に170年あまりの歳月を経て完成したローテンブルクの主教会でゴシック様式の建築である。内部のステンドグラスは高さが17mもあり、5500本のパイプを有するオルガンの響きはすばらしいと説明書にはあるが、残念ながらその響きは聞くことが出来なかった。主祭壇は「十二使徒祭壇」と呼ばれ、巧みな造りの木製群像で、その両側には色彩が鮮やかな扉絵があり素晴らしい。内部の背後の二階(一般にはパイプオルガンがある位置)にはリーメンシュナイダー作の「聖血の祭壇」があった。すべて木製の彫刻で中央の最後の晩餐の情景は人物の表情といい、身にまとっている着物の襞といい、よく彫られたものだと感心した。彩色はなく一見地味ではあるが聖ヤコブ教会の一番の宝ではないだろうかと思った。
聖ヤコブ教会
聖ヤコブ教会の内部 ステンドグラスが美しい
聖ヤコブ教会の中央祭壇
聖ヤコブ教会の後ろの2階にある
リーメンシュナイダー作の聖血の祭壇
聖ヤコブ教会の近くにあるマルクト広場に面して市庁舎があり、向かいに市議会員宴会館がある。市議会員宴会館の壁にマイスタートゥルンクの物語を題材にした仕掛け時計がある。上の文字盤は日付、下は時刻の二段になっている。12時になると窓が開き、将軍と市長が現れ、お互いにジョッキのワインを飲み干すコミカルな姿が見られるという。有名だというので期待して行って見たが、期待はずれで何の面白みもなかった。新宿小田急ハルクのカリヨン時計の方がよっぽどましである。
民族衣装を着た小学生らしい子供が、広場に集まってくる観光客相手に小物を売っている。観光客の顔を見ては紙を見せている。私のところにも来た。見せられた紙には「これを買って下さい」と書いてあった。何枚か紙を持っていてフランス人か、イタリア人か、日本人か顔を見て判断してその国の言葉で書かれた紙を見せていた。
ホテル「アイゼンフット」(間口はこれで奥行きが長い)
市庁舎のルネッサンス様式の建物の入り口上のレリーフ
マルクト広場に面した市議会員宴会会館の仕掛け時計で
上の文字盤は日付、下は時刻、将軍と市長が窓に現れる
レーダーアーチとマルクス塔
13時09発の列車に乗るにはあまり時間がないので昼食はファーストフード店ですませようと思ったが店が見つからない。仕方がないので、広場に来ていたワゴンで売っていたサンドイッチを買い、列車の中で食べることにした。駅前のコーヒーショップでコーヒーを買い Hohenschwangau(ホーエンシュヴァンガウ)へ向かった。ローテンブルクは2時間では見学できない。博物館も町並みもまだまだ見るべき所はたくさんある。2泊は必要な気がした、もう一度訪ねたい街である。
Rothenburg Ob Der Tauber(ローテンブルク)から Hohenschwangau(ホーエンシュヴァンガウ)へ行くには直通列車がないので列車を乗り換えながら行く。先ず、昨日乗り換えた Steinnach(スタインナッハ)へ引き返し、Treuchtlingen(トロヒトリンゲン)行きの列車に乗り換える。Treuchtlingen(トロヒトリンゲン)で Augsburg(アウクスブルク)行きの列車に乗り換え、Augsburg(アウクスブルク)で Fussen(フュッセン)行きの列車に乗る。Fussen(フュッセン)でバスかタクシーを拾い Hohenschwangau(ホーエンシュヴァンガウ)へ。乗り換えが多いので寝ている訳にはいかない。乗換駅がみな初めての駅なので、駅がどうなっているのか、次に乗る列車が何番線に来るのか心配である。乗り換えに十分な時間があれば着いてから調べればよいが、乗り換えの時間が駅によっては3分しかない所もある。それに重いスーツケースを持って移動しなければならない。
スタインナッハは昨日乗り換えた駅なので乗り換えについては分かっているが、ローテンブルクを発つとき、念のため列車の機関士に何番線に着き、トロヒトリンゲン行きは何番線に来るのか確認して乗った。右手にサンドイッチ、左手にコーヒーを持って簡単な昼食を食べる、テーブルがないのが不便だ。堅めの丸いパンに、野菜と薫製されたような堅いハムがはさまれていて、噛み切るのにしわい、が味は良い。車掌が検札に来た。食べ物と飲み物で両手がふさがっている。後で来るように言うと私たちの格好を見て納得する。
食事の後、H子さんがトイレに行ったがドアの開け方が分からない。ドアのあたりをガタガタやっていたら、近くの席に座っていたドイツ人がボタンを押して開けるよう親切に教えてくれる。中に入ったが、こんどはドアの閉め方が分からない。また先程のドイツ人が来て教えてくれる。説明が書いてあると思うが、何せドイツ語が分からないのでどうしようもない。女性軍が次々とトイレに行ったが、ドアの開け閉めの方法を次から次へと教えていた。スタインナッハに着くまでもう車掌は来なかった、検札を忘れてしまったのか、あの連中は乗車券を持っているに違いないと判断したのだろう。
スタインナッハでの乗り換えはうまくいった。次はトロヒトリンゲンの乗り換えである。車掌が来たら乗り換えのホームを聞こう。しかし、必要な時に限ってなかなか車掌が来ない。トロヒトリンゲンへ3分の1くらい走った少し大きい駅 Ansbach(アンスバッハ)に着いた。ここから東に行けばニュルンベルクへ、西に行けばシュトゥットガルトへ行く、私たちは南下する、南北と東西に走る路線が交差するターミナルのような駅である。東西に走る列車が遅れていて、それに乗っている乗り換え客を待っているのか、止まったまま発車しない、もう10分近く止まっている。このままだとトロヒトリンゲンでアウクスブルク行きの列車に間に合わない。他の乗客も窓から顔を出してどうなっているのか情報を得ようとしている。遅れている理由を車内放送しない。もっとも放送されても私たちは理解出来ないのだからどうしようもないが・・・。
やっと動き出した。10分以上遅れての発車である。遅れを取り戻そうと一生懸命走っているようにも思えるが、10分の遅れを取り戻すのは大変である。トロヒトリンゲンに遅れて着いたとき、アウクスブルク行きの列車は待っていて呉れるのだろうか。放送もなければ車掌も来ない。トロヒトリンゲンに着いたら、すぐ降りて乗り換えられるよう準備をする。アウクスブルク行きの列車の発車時刻は過ぎた、が未だトロヒトリンゲンに着かない。もうケセラセラの気持ちになった。
ようやくトロヒトリンゲンに着いた。みんな階段、地下道を走っている。アウクスブルク行きの列車に乗り換えるのだ。乗り換え列車のホームを確かめる間もなく他の人に従って走った。「アウクスブルク行きの列車はこちらだ」と走りながら教えてくれる。スーツケースを転がしながら引っ張って走るがスーツケースが思うように付いて来てくれない。やっとホームに上がり列車に乗った。この列車は発車を遅らせて待っていた列車なのか、前の列車が遅れたために臨時に出した列車なのか分からない。どちらにせよアウクスブルクでフュッセン行きの列車に間に合うように着いてもらいたい。
体格がガッチリしたおデブちゃんの女性車掌が検札に来た。この列車は遅れて着いた列車を待っていたのか、それとも臨時に出した列車か訊いたがはっきりした返事がない。14:35発アウクスブルク行きと言っているようだがドイツ語で言われる数字が理解できない。臨時列車かどうかはどうでも良い、アウクスブルクでフュッセン行きの列車に乗れれば良いので、この列車の到着ホームとフュッセン行きの列車のホームを確認したいと思い訊いた。時刻表では乗り換え時間が4分しかない、しかもこの列車はトロヒトリンゲンを10分遅れて発車している、乗り換えを早くするには到着ホームと発車ホームが知りたい。車掌が言うには、この列車は7番ホームに着くと言う。フュッセン行きは何番か訊くと7番だと言う。私の質問を車掌が勘違いしていると思ったのでもう一度確かめる。7番はこの列車の到着ホームだということは分かったがフュッセン行きのホームが知りたいと念を押すとやはり7番だと言う。乗り換え時間が4分だから同じホームだと衝突するではないか。車掌は他の乗客の検札に行ってしまった。
Kさんはこの列車が臨時列車かどうか知りたいと車掌を追って訊きに行った。しばらく経って車掌が帰って来た、Kさんも一緒である、Kさんはずっと車掌に付きまとって列車のことを訊いていたらしい。臨時列車ではなく遅れた列車を待って発車したとのことは分かった。また到着ホームと発車ホームを訊いた、こんどはH子さんに訊いてもらったがやはり先程と同じことを言う。このことはアウクスブルクに着いて初めて車掌の言っていた事が分かることになる。
私たちが乗った列車は、次に止まる駅の車内案内が少し不親切であった。車内に電光掲示板があるがそれには「これは DB(ドイツ鉄道)である」と出ていて、次の駅の表示を出していない。停車駅に着く直前になって次の駅の表示を出し、放送もその時一度だけで初めて旅行する乗客にとっては困る、まして放送がよく聞き取れない私たちにとっては駅に着いてから大慌てで下車することになる。せめて電光掲示板には次の駅を出しておけばいいと思った、DB の列車であることは電光掲示板に出さなくても分かっていることだから・・・。列車は遅れるし、次に乗り換える駅のホームについてはよく分からないし、沿線の景色を見ている余裕がなかった。
アウクスブルクに到着した。フランクフルト中央駅もそうであったが、ドイツの主要駅はホームが長い。アウクスブルクの7番ホームも長く、一つのホームを北側と南側とに分けて使っている。私たちの乗っている列車は7番ホームの北側に到着した、フュッセン行きは7番ホームの南側から発車する、車掌が言っていたことは間違いではなかった。乗り換えに階段を使わなくても良いが、長いホームをだらだら歩くことになる。
フュッセン行きの列車も発車を待っていてくれた、これで終点までは乗り換えをしなくて良いので安心し、やっと沿線の景色を見る余裕が出来た。いよいよドイツアルプスの麓に向かう、列車は丘を登って行く、牧草地になっているのか草原の中を走る。鉄道には柵はない、勾配はかなりある、ときどきこの景色にマッチしたような家が現れては去っていく。スイスの旅行案内にハイジの村が写真に載っているがよく似た風景である。列車はどんどん高度を上げていく、山が近づくにつれて空模様がおかしくなってきた、黒い雨雲が空を覆ってきた、やはり山の天気である。所々に雪も見えてきた、雨粒が窓につきはじめた、ドイツに来てずっと天気には恵まれていたが、ここは山の中、午後の天気は不安定なのだろう。6時過ぎフュッセンに着いた、細かい雨が降っている、駅舎のトイレにみんな駆け込んだ。用を足して出てみると女性用で何かもめている、また小銭が要るのかと思ったらそうではなく、駅舎を管理しているドイツ人女性が駅舎を閉めるから出ていけと言っている。勤務時間が終わったから閉めて帰ると言う、列車の発着はまだ何本かあるのに日本では考えられないことである。
ホーエンシュヴァンガウはホテルだけしかない所と思ったので、フュッセンの駅前で夕食を済ませようとした。店はみな閉まっている、やはり時季が時季だけに観光客も来ないので開けていても仕方がないだろう。駅前は閑散としていてタクシーもいない、Kさんが止まっていたバスの運転手にホーエンシュヴァンガウに行くのか訊いている。いますぐ発車すると言うので慌てて乗る、少し走るとシュヴァンガウの田園地帯に入っていった、広い原っぱの中にポツンと小さな教会が建っている。見たことのある風景だ、「週刊朝日百科・世界の100都市 ミュンヘンとロマンチック街道」の本に載っていた「聖コロマン巡礼教会」だ、降りて見たいが路線バスなので次はいつ来るか分からない。
バスは勾配の急な山道に差し掛かった、薄暗くなった山の中腹に白い城が見える、写真で見たノイシュヴァンシュタイン城に似ているが小さい城である、ドイツではあちこちに城を見ることが出来るので他の城だろう。ノイシュヴァンシュタイン城であればもっと大きく、もっと山奥の中にあるだろう、と想像しているうちにホーエンシュヴァンガウのバス停留場に着いた。ホテルまで急な坂道をスーツケースを引きずりながら歩くと、途中に城の見学のチケットセンターがあった。城へはいきなり行っても入れない、入場券はこのチケットセンターであらかじめ購入し、指定された時間に行かなければならない。ハイシーズンは東京ディズニーランドの様に混雑すると聞いていたので何時から発売するのか確かめる。窓口がノイシュヴァンシュタイン城の見学、ホーエンシュヴァンガウ城の見学、両方の城の見学と3つに分かれていて並ぶ様になっていた。
私たちが宿泊を予定しているシュロスホテルはリスルとイエガーハウスに分かれているのでリスルはどちらの建物か探す。1階が食堂になっていて一般の客も入れる建物がリスルであった。フロントには日本人の女の子がいた、チェックインすると部屋が同じ階でないので、同じ階に出来ないか頼むと山しか見えない部屋になると言う。部屋に入ってみて分かったが、それぞれの部屋の窓からノイシュヴァンシュタイン城が見える部屋を準備していてくれたのだ。煙雨の中にライトアップされたノイシュヴァンシュタイン城が見え、反対側の山にはホーエンシュヴァンガウ城が、下の芝生には残雪が見える。見晴らしが一番良いと思って一番上の部屋を希望したら屋根裏のような部屋で小淵沢の「アカイヌ山荘」の2階のようであった。食堂はクラシックな高級感漂うものとカジュアルなものと2つあったが、私たちは服装がカジュアルというより着たきり雀の普段着であり、高級な食べ物を必要としないのでカジュアルな食堂で夕食を食べた。ここでも1人分を2人で食べれるように盛り付けを頼んだ。
バスの窓から見えた煙霧の中のノイシュバインシュタイン城
夕暮れのホーエンシュバンガウの町(ホテルの窓より)
この時季でもチケットセンターには早朝の7時30分に行かないと最初の見学時間は取れないかフロントで訊くと、ホテルの宿泊者は城のチケット代が割引になると言い、ホテルで購入してくれるというのでシニア料金と宿泊者割引を合わせて安く購入してくれるように頼んだ。
明日、ノイシュヴァンシュタイン城とホーエンシュヴァンガウ城を見学した後、直接 Munchen(ミュンヘン)へ行くのではなく、ルートヴィヒ2世の"隠れ家"であったリンダーホーフ城を見学して Oberammergau(オーバーアマガウ)の街の家々の壁に描かれた美しいフレスコ画を見て Munchen(ミュンヘン)へ向かいたい。ホーエンシュヴァンガウへ来るとき路線バスの運転手にオーバーアマガウへ行く路線バスについてKさんが尋ねると「路線バスはあるが回り道をする」と言う、それでは時間が掛かりリンダーホーフ城とオーバーアマガウの街を見るとミュンヘンに着くのが夜中になってしまう。ホテルで今一度尋ねるとバスの運転手が言ったことと同じであった。6人なのでバス料金に少し足してタクシーをチャーターすれば時間の節約にもなり余裕をもって見学出来る。ホテルのフロントでタクシーの料金を調べてもらったら思ったより安い。タクシーの予約をホテルに頼み、私だけがコーヒーを飲んで部屋に帰った。
ドイツ旅行 一口メモ
zu と aus
電源のスイッチの切り替え表示、日本では英語で on(入れる), off(切る)の表示が多く使われている。ドイツの列車に乗ったとき、エアコンのスイッチのところにzuと ausが書いてあり、どちらが on なのか off なのか分からなかった。車掌に聞くと zu が on だと言う。ドイツでは zu が on, aus が off である、覚えておこう。電圧とプラグ
電圧は 220ボルトで、日本の電気製品を使用する際は、変圧器と差し込みプラグが必要。差し込みプラグは C・SE型 を用意。