今日はドイツ滞在最後の日だ。最後の日ぐらい何もハプニングが起こらないように願っていた。食堂へ行くと受付で、あなた達はコンチネンタル・ブレックファーストになっているが7ユーロ(約900円)出せばビュッフェ形式で好きな物が食べられると言う。朝はあまり食べないのでコンチネンタルで良い。ウエイトレスがコンチネンタル・ブレックファーストを運んできた。予想していたより立派な朝食だ、これで満足。S夫人とY夫人が下りて来た。説明すると私たちと同じで良いと言う。H子さんがウエイトレスに頼んであげた。
夕方にはフランクフルト空港へ行かなければならないので、ホテルを早めに出て徒歩で旧市街に向かった。朝早いので私たちが歩いている道は人通りがない。途中の小公園に朝市の屋台が6台くらい出ていた。客があまり居ない、もう買い物をして帰ったのか、これから来るのかは分からない。野菜、果物、肉類、ソーセージ、パンなどを売っている。少し店を冷やかした後、ドイツ最古の大学ハイデルベルク大学旧校舎へ向かった。Kさんが朝市の屋台で買ったのかリンゴを仕入れている。みんなでリンゴをかじりながら歩いた。途中小間物雑貨を売っている小さな店が開いていたので入ってみた。中国人らしい主人が親切に応対してくれる。K夫人とH子さんが小さな物を買った。私たちがこれから市街見学に行くだのだろうと察したのか、買い物をしたサービスとして日本語版のカラーガイド冊子をくれた。
ハイデルベルク 小公園の朝市
太くて大きい白アスパラガス
最初に大学図書館、学生牢、大学旧講堂を見学する予定でいたが、大学の校舎といっても、日本の学校のように塀で囲まれ、横に長い建物でなく、他の建物とまったく同じような建物なのでどれが大学の校舎か分からない。外観の装飾が美しい建物の外壁を放水して水洗いをしている。博物館か商工会の建物か何か由緒ある公の建物かと思いながら眺めた。入り口の上の破風になっているところに綺麗な文字が書かれているが全く意味が分からない。H子さんが最初の部分を読んで、書物(本)という意味だからこれが図書館かも知れないと言う。中に入って見た。大学図書館であった。この図書館は貴重な写本のコレクションを持つことで知られ、なかでも14世紀の詩人たちの作品を収録する美しく彩色された「マネッセ・リート写本」は有名だそうだ。2階の部屋でガラスケースに収められているそのレプリカを見ることが出来るというのでどんなものか期待して2階に上がって行った。扉が閉まっていて引いても押しても開かない。職員に訊くと今空調設備の工事中なので一般公開はしていないと言う。見ることが出来ず残念だが仕方がない。一般には公開していない閲覧室におそるおそる入ってみた。学生が調べものをしているのか、勉強しているのか真面目そうな顔でやっている。アメリカ系の学校のように口に物を入れてクチャクチャ口を動かしているような学生はいない。開架式の本棚を見るとずいぶん古そうな本が沢山並んでいた。
次は学生牢であるが場所がなかなか見つからない。地図を見ながらこの辺りのはずだと言いながらKさんと一緒に探すが見当たらない。女子学生が大学校舎から出てきたので学生牢はどこか訊くが知らないと言う。ハイデルベルクは観光施設であっも他の観光地の様なよく分かる案内表示が無く、英語での表示も無くすべてドイツ語だけである。あちこち歩いて相当時間を費やした。やっと見つかった。校舎にはいくつか立派な入り口があるが、学生牢の入り口は、校舎の入り口のようになっていなくて、勝手口みたいな小さな板張りのドアがあるだけである。ドアを引いたが開かない、馬鹿力で引っ張ったら開いた。これでは初めて来た人には分かりづらい。それでいて入場料はチャッカリ取る。狭い階段を上って行くと小部屋が3つあった。牢内は壁、天井がすべて水彩やろうそくの煤で描かれた絵や字句の落書きで埋め尽くされていた。投獄された囚人(学生)たちが暇を持て余して描いたのだろう。絵は殆どが人物画であるが、煤で描かれているため影絵のようだ。その人の特徴をよく捉えていてなかなかのものである。当時の人が見ればあれは誰だ、こちらは誰だと分かったであろう。
講堂の見学の時、学生牢の事も説明してくれた。かっては大学は治外法権を持っており、学生が軽犯罪を犯した場合には大学が管理する学生牢に投獄された。実際に使われていた期間は学生に対する監査権が大学当局にあった1712年から1914年までであった。泥酔、治安妨害、夜間騒擾、女性に対する無礼などの違反に対して最高14日間、警察と争論のあった場合は4週間の監禁という内訳であるが、これら違反は学生達にとっては、騎士として当たり前の行為であり、又一回ぐらいは牢屋を見てやろうという魂胆もあった。はじめの2,3日は水とパンだけの食事であったが、その後外からの差し入れが許され、講義にでることや囚人間の行き来も許されていた。各部屋には色々な名前がつけられ、例えばトイレのことを学生囚人達は「グランド・ホテル」「サン・スシー(フリードリッヒ大王の無憂宮)」「王座の間」などと呼んでいた。彼らの「学生牢」に対する見地の程が知られる。
学生牢がある同じ校舎の反対側に講堂の入り口がある。こちらは立派な入り口だ。2階に大学創設500周年(1886年)を記念して改装された大講堂があった。講堂は独立した建物ではなく校舎の中にあり、正面中央の壁画は学術の女神アテネのハイデルベルク到来の場面を表しているという。上階のバルコニーの回りにはこの大学で教鞭をとった歴代の教授で有名な人のネイムプレートがびっしりはめ込まれていた。この大学ではノーベル賞受賞者を多数輩出しているとの説明があった。特別に男の人が英語でゆっくり説明してくれたが知らない単語があるためよく分からない。H子さんが通訳をしてみんなに説明してくれた。また1階には大学の歴史を展示した博物館もあり、案内の人が丁寧に説明してくれそうであったが、15分位しか居られないと言うと残念そうな顔をした。
ハイデルベルク大学の講堂
落書きで埋め尽くされたハイデルベルク大学の学生牢
小高い山の上に立つハイデルベルク城へ向かう。徒歩で登ると20分とガイドブックに書かれてあるが、急坂でもあり私たちはみんな年寄りである、私たちの足だと40分は掛かるかも知れない、ケーブルカーを利用して登った。下のコルン広場駅の券売機で乗車券を買うが、またまた買い方で苦労する。改札へ行くと横に乗車券売り場があるではないか、何も券売機で苦労することはなかった。Schloss 駅で下りハイデルベルク城の入場券売り場に行こうとすると、Kさんがケーブルカーの乗車券に Schloss(城)と書いてあるから入場券も一緒になっているだろうと言うが、Schlossは城駅までの乗車券という意味で城の入場券は別に買うのだろうと言って入場券売り場で確かめるとやはり別であった。城の入り口で体格の良い男性がもぎりをしていた。城門を注意深く見ると扉の取っ手の一つにヒビが入っていて、それは魔女の歯形だとガイドブックに書いてあったので、私が知ったかぶりでみんなに説明していたら、もぎりの男が来てそれは次の扉の取っ手だと言う、恥をかいた。中庭に入ると王宮風の建物フリードリヒ館があり、建物の正面には歴代の王たちの彫像が並んでいる。フリードリヒ館の左手から地下に下りるとワインの大樽が2つあり、奥の大樽は直径が7m、22万リットルも入るという。大樽の傍に人形が飾られていたがこの人形はペルケオといい、イタリアから来た道化師で後にこのワイン樽の番人になったそうだ。ペルケオは並外れた大酒飲みだったそうであるがいくら何でもこの樽のワインを飲み干すことは出来なかっただろう。小学生のグループが見学に来ていて先生に説明を受けていたがお喋りをしている子はいなくみんな真面目に聞いていた。自分の名が入ったラベルを作ってくれて、それを貼ったワインを送ってくれるサービスの受け付けをしていた。フリードリヒ館の裏手のバルコニーに出るとハイデルヘルク市街とネッカー川を一望でき、その眺めは素晴らしかった。その他見どころは沢山あるが正午もとっくに過ぎていたので市街に下りた。門を出たところでハイデルベルクの景色を描いた水彩画を売っていたので記念に小さい絵を買った。負けさせようと思ったが安かったので言い値で買った。
ハイデルベルク城 フリードリヒ館
ワイン樽の番人ペルケオ
ハイデルベルク城のテラスより旧市街を見る
ハイデルベルク城内で
サンドイッチとコーヒーで昼食を済ませ、私が宿泊したいと言ったツム・リッターの前を通ってネッカー川に架かるカール・テオドール橋へ行った。ホテル・リッターはさすが博物館的な建物だけあって立派である。ここに泊まって見たかったと言うとKさんがあなたの希望を入れないで悪いことをしたな~、と言った。カール・テオドール橋はカール・テオドール選帝候の命により3年かけて建造され、旧市街側には2つの塔を持つブリュッケ門が設けられフランス軍の攻撃から街を守る城壁の一部になっている。この塔は牢獄として使われていたという。橋のたもとに鏡を持った猿の像があり、その鏡に触れると金持ちになるという。猿の像をバックに記念写真を撮ろうと駆け寄ったH子さんが、石畳の段差に気づかず足を引っかけて転び、したたか膝を石畳に打ち付け少しの間歩けなかった。その後遺症かどうか知らないが今でも正座は出来ず膝が痛いので整形外科への医者通いである。橋にはカール・テオドールの像と、城と街の守護神アテネの像がある。橋を渡った対岸(北側)からの景色は絶品である。ネッカー川、川に架かるカール・テオドール橋、旧市街、ハイデルベルク城が一枚の絵の中に収まる景色である。記念撮影をしたが逆光になるためと腕が悪いために頭に描いた写真が撮れない。
マルクト広場より見たハイデルベルク城
ツム・リッター 「騎士の家」と呼ばれる16世紀の歴史的建造物
カール・テオドール橋のたもとにあるマントヒヒの像
この鏡に触れると金持ちになると言われている
ネッカー川に架かるカール・テオドール橋
橋の北側に建つ守護聖人
「選帝候カール・テオドール」の彫像
旧市街に帰り、街路に出ていた露店で絵はがき、コースターなど小間物を買う。いかついおばさんであったが「サービスしてよ」と言うと少し負けてくれた。フランクフルトへ向かうため4時には荷物を預けているホテルに帰らなければならないので、歩行者天国になっているハイデルベルクのメイン通りハウプト通りをホテルに向かった。ブラブラしながら歩いても30分位でホテルに着くと思うが、Kさんが通行人にここからホテルまで何分位かかるか地図を見せながら訊く。通行人も観光客だから分からないと言う。途中で像のパフォーマンスをやっている若者に会った。1組は中世の二人の騎士で全身銀の粉を塗してじっとして動かない。本当に銀の像がそこに有るようであるが、狭い台の上に二人で座っていて不安定である。風が強く吹くたびに少し揺れる、H子さんが後ろに廻って足の辺りを見て銀粉を塗っていない毛脛が動いていたと報告に来た。もう1組は1人の男が像のように不動の姿勢で立っている。前に小さい缶が置いてあったのでH子さんがコインを入れるとお礼に一曲ハーモニカをふいた。
観光客で賑わうハウプト通り
ハウプト通り
2階のベランダでクマの人形がシャボンを飛ばしていた
(ハウプト通り)
ハウプト通り
ハウプト通り
路上パフォーマンス その1 (ハウプト通り)
路上パフォーマンス その2 (ハウプト通り)
ホテルで荷物を受け取るが預けた荷物が全部出てこない。どんな荷物か訊く。預かり証を発行していてそれを渡しているのだから、預かり証毎に荷物をまとめていて出してこなければならない、こんなホテルは初めてである。タクシーはKさんがフロントに頼んで呉れていた。タクシーが来たが運転手が私たちを見て、もう一台必要だから呼んでくると言って出ていった。タクシーが2台必要ということは分かっていたはずだが、Kさんが2台と頼まなかったのか、ホテルの手配が悪かったのか不明である。
ホテルからフランクフルト空港までは予定通りスムーズに行った。2日目にJALカウンターで頼んでおいた飛行機の aisle seat が取れているか行ってみた、取れていた。機内での夕食は遅い時間になるようなので軽い物を食べておこうと注文がし易いマクドナルドへ行った。ハンバーガーとコーヒーで良いのだが売り子はセットものを売りたくてポテトまで付けて売った。S夫人とY夫人は私たちと同じで物でいいから注文して欲しいと頼んだ。Kさんはどのように注文をしたのかジュースまで3つ買わされていて飲めないのにどうしようと困っていた。一つ飲んで呉れないかと言って持って来たがお腹をこわすと困るので断った。その後Kさんはあのジュースをどうしたか訊いていない。 チェックインする前にH子さんがトイレに行ったがなかなか帰って来ない。今までにあちこちで迷った前科があるので何処かで迷っていないか心配だ。飛行機に乗り遅れると大変である。ようやく帰ってきた、トイレが清掃中で遅くなったと言っていた。
KさんとS夫人は免税手続きカウンターで税金の払い戻しを受ける。飛行機に乗り込んだ、ビジネス席は空いているがエコノミー席は満席であった。今日もいろいろハプニングがあった、毎日ハプニング続きの10日間のドイツ滞在であったが、予定した見学地は何とか廻ってきた。日本航空JL408便は予定通り午後9時過ぎフランクフルト空港を飛び立った。
夕方にはフランクフルト空港へ行かなければならないので、ホテルを早めに出て徒歩で旧市街に向かった。朝早いので私たちが歩いている道は人通りがない。途中の小公園に朝市の屋台が6台くらい出ていた。客があまり居ない、もう買い物をして帰ったのか、これから来るのかは分からない。野菜、果物、肉類、ソーセージ、パンなどを売っている。少し店を冷やかした後、ドイツ最古の大学ハイデルベルク大学旧校舎へ向かった。Kさんが朝市の屋台で買ったのかリンゴを仕入れている。みんなでリンゴをかじりながら歩いた。途中小間物雑貨を売っている小さな店が開いていたので入ってみた。中国人らしい主人が親切に応対してくれる。K夫人とH子さんが小さな物を買った。私たちがこれから市街見学に行くだのだろうと察したのか、買い物をしたサービスとして日本語版のカラーガイド冊子をくれた。
ハイデルベルク 小公園の朝市
太くて大きい白アスパラガス
最初に大学図書館、学生牢、大学旧講堂を見学する予定でいたが、大学の校舎といっても、日本の学校のように塀で囲まれ、横に長い建物でなく、他の建物とまったく同じような建物なのでどれが大学の校舎か分からない。外観の装飾が美しい建物の外壁を放水して水洗いをしている。博物館か商工会の建物か何か由緒ある公の建物かと思いながら眺めた。入り口の上の破風になっているところに綺麗な文字が書かれているが全く意味が分からない。H子さんが最初の部分を読んで、書物(本)という意味だからこれが図書館かも知れないと言う。中に入って見た。大学図書館であった。この図書館は貴重な写本のコレクションを持つことで知られ、なかでも14世紀の詩人たちの作品を収録する美しく彩色された「マネッセ・リート写本」は有名だそうだ。2階の部屋でガラスケースに収められているそのレプリカを見ることが出来るというのでどんなものか期待して2階に上がって行った。扉が閉まっていて引いても押しても開かない。職員に訊くと今空調設備の工事中なので一般公開はしていないと言う。見ることが出来ず残念だが仕方がない。一般には公開していない閲覧室におそるおそる入ってみた。学生が調べものをしているのか、勉強しているのか真面目そうな顔でやっている。アメリカ系の学校のように口に物を入れてクチャクチャ口を動かしているような学生はいない。開架式の本棚を見るとずいぶん古そうな本が沢山並んでいた。
次は学生牢であるが場所がなかなか見つからない。地図を見ながらこの辺りのはずだと言いながらKさんと一緒に探すが見当たらない。女子学生が大学校舎から出てきたので学生牢はどこか訊くが知らないと言う。ハイデルベルクは観光施設であっも他の観光地の様なよく分かる案内表示が無く、英語での表示も無くすべてドイツ語だけである。あちこち歩いて相当時間を費やした。やっと見つかった。校舎にはいくつか立派な入り口があるが、学生牢の入り口は、校舎の入り口のようになっていなくて、勝手口みたいな小さな板張りのドアがあるだけである。ドアを引いたが開かない、馬鹿力で引っ張ったら開いた。これでは初めて来た人には分かりづらい。それでいて入場料はチャッカリ取る。狭い階段を上って行くと小部屋が3つあった。牢内は壁、天井がすべて水彩やろうそくの煤で描かれた絵や字句の落書きで埋め尽くされていた。投獄された囚人(学生)たちが暇を持て余して描いたのだろう。絵は殆どが人物画であるが、煤で描かれているため影絵のようだ。その人の特徴をよく捉えていてなかなかのものである。当時の人が見ればあれは誰だ、こちらは誰だと分かったであろう。
講堂の見学の時、学生牢の事も説明してくれた。かっては大学は治外法権を持っており、学生が軽犯罪を犯した場合には大学が管理する学生牢に投獄された。実際に使われていた期間は学生に対する監査権が大学当局にあった1712年から1914年までであった。泥酔、治安妨害、夜間騒擾、女性に対する無礼などの違反に対して最高14日間、警察と争論のあった場合は4週間の監禁という内訳であるが、これら違反は学生達にとっては、騎士として当たり前の行為であり、又一回ぐらいは牢屋を見てやろうという魂胆もあった。はじめの2,3日は水とパンだけの食事であったが、その後外からの差し入れが許され、講義にでることや囚人間の行き来も許されていた。各部屋には色々な名前がつけられ、例えばトイレのことを学生囚人達は「グランド・ホテル」「サン・スシー(フリードリッヒ大王の無憂宮)」「王座の間」などと呼んでいた。彼らの「学生牢」に対する見地の程が知られる。
学生牢がある同じ校舎の反対側に講堂の入り口がある。こちらは立派な入り口だ。2階に大学創設500周年(1886年)を記念して改装された大講堂があった。講堂は独立した建物ではなく校舎の中にあり、正面中央の壁画は学術の女神アテネのハイデルベルク到来の場面を表しているという。上階のバルコニーの回りにはこの大学で教鞭をとった歴代の教授で有名な人のネイムプレートがびっしりはめ込まれていた。この大学ではノーベル賞受賞者を多数輩出しているとの説明があった。特別に男の人が英語でゆっくり説明してくれたが知らない単語があるためよく分からない。H子さんが通訳をしてみんなに説明してくれた。また1階には大学の歴史を展示した博物館もあり、案内の人が丁寧に説明してくれそうであったが、15分位しか居られないと言うと残念そうな顔をした。
ハイデルベルク大学の講堂
落書きで埋め尽くされたハイデルベルク大学の学生牢
小高い山の上に立つハイデルベルク城へ向かう。徒歩で登ると20分とガイドブックに書かれてあるが、急坂でもあり私たちはみんな年寄りである、私たちの足だと40分は掛かるかも知れない、ケーブルカーを利用して登った。下のコルン広場駅の券売機で乗車券を買うが、またまた買い方で苦労する。改札へ行くと横に乗車券売り場があるではないか、何も券売機で苦労することはなかった。Schloss 駅で下りハイデルベルク城の入場券売り場に行こうとすると、Kさんがケーブルカーの乗車券に Schloss(城)と書いてあるから入場券も一緒になっているだろうと言うが、Schlossは城駅までの乗車券という意味で城の入場券は別に買うのだろうと言って入場券売り場で確かめるとやはり別であった。城の入り口で体格の良い男性がもぎりをしていた。城門を注意深く見ると扉の取っ手の一つにヒビが入っていて、それは魔女の歯形だとガイドブックに書いてあったので、私が知ったかぶりでみんなに説明していたら、もぎりの男が来てそれは次の扉の取っ手だと言う、恥をかいた。中庭に入ると王宮風の建物フリードリヒ館があり、建物の正面には歴代の王たちの彫像が並んでいる。フリードリヒ館の左手から地下に下りるとワインの大樽が2つあり、奥の大樽は直径が7m、22万リットルも入るという。大樽の傍に人形が飾られていたがこの人形はペルケオといい、イタリアから来た道化師で後にこのワイン樽の番人になったそうだ。ペルケオは並外れた大酒飲みだったそうであるがいくら何でもこの樽のワインを飲み干すことは出来なかっただろう。小学生のグループが見学に来ていて先生に説明を受けていたがお喋りをしている子はいなくみんな真面目に聞いていた。自分の名が入ったラベルを作ってくれて、それを貼ったワインを送ってくれるサービスの受け付けをしていた。フリードリヒ館の裏手のバルコニーに出るとハイデルヘルク市街とネッカー川を一望でき、その眺めは素晴らしかった。その他見どころは沢山あるが正午もとっくに過ぎていたので市街に下りた。門を出たところでハイデルベルクの景色を描いた水彩画を売っていたので記念に小さい絵を買った。負けさせようと思ったが安かったので言い値で買った。
ハイデルベルク城 フリードリヒ館
ワイン樽の番人ペルケオ
ハイデルベルク城のテラスより旧市街を見る
ハイデルベルク城内で
サンドイッチとコーヒーで昼食を済ませ、私が宿泊したいと言ったツム・リッターの前を通ってネッカー川に架かるカール・テオドール橋へ行った。ホテル・リッターはさすが博物館的な建物だけあって立派である。ここに泊まって見たかったと言うとKさんがあなたの希望を入れないで悪いことをしたな~、と言った。カール・テオドール橋はカール・テオドール選帝候の命により3年かけて建造され、旧市街側には2つの塔を持つブリュッケ門が設けられフランス軍の攻撃から街を守る城壁の一部になっている。この塔は牢獄として使われていたという。橋のたもとに鏡を持った猿の像があり、その鏡に触れると金持ちになるという。猿の像をバックに記念写真を撮ろうと駆け寄ったH子さんが、石畳の段差に気づかず足を引っかけて転び、したたか膝を石畳に打ち付け少しの間歩けなかった。その後遺症かどうか知らないが今でも正座は出来ず膝が痛いので整形外科への医者通いである。橋にはカール・テオドールの像と、城と街の守護神アテネの像がある。橋を渡った対岸(北側)からの景色は絶品である。ネッカー川、川に架かるカール・テオドール橋、旧市街、ハイデルベルク城が一枚の絵の中に収まる景色である。記念撮影をしたが逆光になるためと腕が悪いために頭に描いた写真が撮れない。
マルクト広場より見たハイデルベルク城
ツム・リッター 「騎士の家」と呼ばれる16世紀の歴史的建造物
カール・テオドール橋のたもとにあるマントヒヒの像
この鏡に触れると金持ちになると言われている
ネッカー川に架かるカール・テオドール橋
橋の北側に建つ守護聖人
「選帝候カール・テオドール」の彫像
旧市街に帰り、街路に出ていた露店で絵はがき、コースターなど小間物を買う。いかついおばさんであったが「サービスしてよ」と言うと少し負けてくれた。フランクフルトへ向かうため4時には荷物を預けているホテルに帰らなければならないので、歩行者天国になっているハイデルベルクのメイン通りハウプト通りをホテルに向かった。ブラブラしながら歩いても30分位でホテルに着くと思うが、Kさんが通行人にここからホテルまで何分位かかるか地図を見せながら訊く。通行人も観光客だから分からないと言う。途中で像のパフォーマンスをやっている若者に会った。1組は中世の二人の騎士で全身銀の粉を塗してじっとして動かない。本当に銀の像がそこに有るようであるが、狭い台の上に二人で座っていて不安定である。風が強く吹くたびに少し揺れる、H子さんが後ろに廻って足の辺りを見て銀粉を塗っていない毛脛が動いていたと報告に来た。もう1組は1人の男が像のように不動の姿勢で立っている。前に小さい缶が置いてあったのでH子さんがコインを入れるとお礼に一曲ハーモニカをふいた。
観光客で賑わうハウプト通り
ハウプト通り
2階のベランダでクマの人形がシャボンを飛ばしていた
(ハウプト通り)
ハウプト通り
ハウプト通り
路上パフォーマンス その1 (ハウプト通り)
路上パフォーマンス その2 (ハウプト通り)
ホテルで荷物を受け取るが預けた荷物が全部出てこない。どんな荷物か訊く。預かり証を発行していてそれを渡しているのだから、預かり証毎に荷物をまとめていて出してこなければならない、こんなホテルは初めてである。タクシーはKさんがフロントに頼んで呉れていた。タクシーが来たが運転手が私たちを見て、もう一台必要だから呼んでくると言って出ていった。タクシーが2台必要ということは分かっていたはずだが、Kさんが2台と頼まなかったのか、ホテルの手配が悪かったのか不明である。
ホテルからフランクフルト空港までは予定通りスムーズに行った。2日目にJALカウンターで頼んでおいた飛行機の aisle seat が取れているか行ってみた、取れていた。機内での夕食は遅い時間になるようなので軽い物を食べておこうと注文がし易いマクドナルドへ行った。ハンバーガーとコーヒーで良いのだが売り子はセットものを売りたくてポテトまで付けて売った。S夫人とY夫人は私たちと同じで物でいいから注文して欲しいと頼んだ。Kさんはどのように注文をしたのかジュースまで3つ買わされていて飲めないのにどうしようと困っていた。一つ飲んで呉れないかと言って持って来たがお腹をこわすと困るので断った。その後Kさんはあのジュースをどうしたか訊いていない。 チェックインする前にH子さんがトイレに行ったがなかなか帰って来ない。今までにあちこちで迷った前科があるので何処かで迷っていないか心配だ。飛行機に乗り遅れると大変である。ようやく帰ってきた、トイレが清掃中で遅くなったと言っていた。
KさんとS夫人は免税手続きカウンターで税金の払い戻しを受ける。飛行機に乗り込んだ、ビジネス席は空いているがエコノミー席は満席であった。今日もいろいろハプニングがあった、毎日ハプニング続きの10日間のドイツ滞在であったが、予定した見学地は何とか廻ってきた。日本航空JL408便は予定通り午後9時過ぎフランクフルト空港を飛び立った。