アンリ・シバの旅日記

列車で巡る南ドイツの旅(バイエルン地方)

南ドイツ旅行・珍道中記

第6日目 4/13(日) ホーエンシュヴァンガウ → ミュンヘン



 朝目覚めると昨夜の雨も上がり快晴の天気であった。青空をバックに雪で覆われたドイツアルプスが朝日に照らされて眩しく綺麗だ。私たちは天気については本当にツイている。ブュッフェ形式の朝食を済ませ、荷物をパックしてフロントに預ける。チェックアウトをして、ノイシュヴァンシュタイン城の最初の見学時間に間に合うようにミニバスで城に向かう。バスの停留所はホテルの前だ。城へは徒歩、ミニバス、馬車のどれかで行くが登り坂であり、徒歩だと私たちの足では40分位はかかる。バスは城とマリエン橋の分岐点になっている終点に着いた。マリエン橋は深い渓谷にかかる吊り橋で城の全景はここからでしか見えない。ハイシーズンだと押し合いへし合いで日本人観光客が何人もスリにあったそうだ。今朝は私たちと日本人のもう一家族しかいない。橋は凍り付いていて足下が滑る、転ぶと手すりの隙間から落っこちそうで少し怖い。城の全景が目の前に迫っている。それぞれ写真を撮るが青空とアルゴイ地方の街や村それに湖と緑一色の田園風景など城のバックが明るすぎて逆光になりうまく撮れない。


マリエン橋から見たノイシュバンシュタイン城


ノイシュバンシュタイン城から見たアルゴイ地方の景色


ノイシュバンシュタイン城へ通じる坂道から見上げた城


ノイシュバンシュタイン城から見たドイツアルプス
  (中央右にマリエン橋が見える)

 マリエン橋からバス停まで引き返し、山道を10分位歩いて城へ向かう、山道は急坂だ。城の入り口には日本人の団体客が来ていた。バスには乗っていなかったので徒歩か馬車で上がって来たのだろう。城は標高1000m余りの岩山の狭い頂上に石灰岩で造られた白亜の城である。今まで見たライン河沿いの城は茶色の石で出来ていた。周りは深い谷で建設の時の足場はどのようにしたのか興味がわいた。建設中に大工、石工、屋根葺き職人などが何人か谷底に墜落死したそうで谷底から死体が粉々で発見されたというから谷底までの高さは相当なものである。ホーエンシュバンガウへ来るときとホテルの窓で見たときは小さく可愛い城に見えた。見る方向によって小さく見えるが結構大きい城である。

 入場券には入場時刻、ツアーナンバー、説明方法(オーディオ)等が書いてあり、ツアーナンバーに従って並ぶようになっていた。ツアーナンバーはどこの国の観光客かを表しているらしく、同じ入場時刻でもツアーナンバーごとにまとめられて並んだ。城内の説明は観光客の国の言葉で流すように考えている。

 城内に入ってからの最初の説明が「城内をすべてお見せすることは出来ません。すべてお見せ出来るのは何百年先か分かりません」ということであった。これは建築主であるルードヴィヒ二世が謎の溺死をしたとき城は未だ完成しておらず、財政上の理由から次の工事は着手されなかった。したがって建設は中止となり、現在も未完のままの所がたくさんある。完成された所の修復もままならない状態であるため全部をお見せ出来ないということであった。

 見学は階段を上がって4階からスタートする。どの部屋も天井と壁の絵画・彫刻がすごい、壁画のひとつひとつに意味がありオーディオで説明があったが覚えておれない。絵画・彫刻・置物すべてが贅を尽くしたものでゆっくり見たいが、次の部屋次の部屋と案内され遅れると説明を聞き逃すことになる。次の団体が続いているのでゆっくりしていられないのだろう。中でも歌人の間と玉座の間は大きな部屋で絵画・飾り物すべてが見応えがあった。

 歌人の間は、ヴァルトブルク城で13世紀に詩人のコンテストが開かれた"史実"を題材にワーグナーは歌劇「タンホイザー」を創作し、その城の「歌手の間」を手本に造られたと言われているが、ルートヴィヒ二世の存命中は一度も使われなかったそうである。現在は毎年9月にコンサートが開かれているとのことである。

 玉座の間は、5階まで吹き抜けになっていて、天井からすごいシャンデリアが下がっていた、重さが900kgあるとか。肝心の玉座はない、ルートヴィヒ二世が死去した時点で注文契約は解約され、玉座も製作されなかった。

 寝室のベッドの天蓋は木彫りで造られており非常に豪華で、14人の細工師が4年半かけて作成したそうである。食堂は4階にあり、厨房は1階である。食事は1階の厨房で作られ、テーブルに盛り付けられ。テーブルごとエレベーターで王が座っている椅子の前に上がってくる、丁度劇場の舞台のセリと同じである。

 居間、執務室、礼拝堂、高官の部屋、近従の部屋、控えの間などを見たが、どれも豪華な部屋であった。最後は使用人が使っていた100段以上の螺旋階段を1階まで下り、グッズの売り場を通って出口に出る。階段は多く、エレベーターもないこの城の見学は足の不自由な人は見学出来ない。映画「ルートヴィヒ二世」のロケに使われた2階の中庭には出られなかった。またバルコニーや塔の上に登ることも出来なかった。部屋の窓から少し見えた景色が綺麗だったので、もしバルコニーに出られれば快晴でもありドイツアルプスの山々、湖、田園風景は素晴らしかったのではないかと思った。


王座の間


歌人の広間


書 斎


寝 室

 グッズ売り場は日本人でごった返していた、団体で来た人たちに添乗員が「もう、時間ですよ」と言っても、なかなか出て行かない。外国人の顔は殆ど見ない、さっさと出口に行ってしまったのだろう。日本人向けのグッズ(説明が日本語で書かれている)が沢山準備されていた。私たちもいくつか買ったが購入した物をビニールの袋に入れてくれる。レジによって何も書かれていないスーパーマーケットの袋のような白い袋のものや城の写真がついている袋もある。Kさんの袋は何も書かれていない白い袋であった。他の人の袋は城の写真が印刷されているのでわざわざレジに行って袋を換えてくれるよう頼んだ。レジのお姉さんはニコニコ笑いながら換えてくれた。ガイドブックにはガイドツアーは約35分と書いてあったが時計を見ると10 時を過ぎていたのでグッズ売り場に20分くらい居たようだ。反対側の山にあるホーエンシュヴァンガウ城の入場時刻は10:55と指定されているので急いで出た。

帰りは馬車で下ることにした。御者に料金を聞きH子さんが支払った。御者は私たち夫婦だけだと思ったのが、チャッカリ他の4人も乗っているのでお前たちの分は貰っていない、お金を出せと叫んでいた。馬は大きなお尻を右に左に振りながらゆっくり、ゆっくり歩く。椅子は前後合い向かいになっている、前側の椅子に後ろ向きに座っている人は良いが、後ろ側の椅子に前向きに座っている人は馬車が揺れるたびに前のめりになりお尻が椅子から落っこちる、それくらい坂が急である。城の見学者が沢山登って来る、歩いている人は殆ど外国人だ、日本人はバスか馬車を使うらしい。終点まで行かないでホテルの前で下ろしてもらった。御者にはお礼を言わないで馬にお礼を言い、「お金は払っておいたから人参でも食べさせて貰いな」と言ったがドイツ語で言えなかったのでドイツ育ちの馬は理解出来なかっただろう。

 ホテルのトイレに寄って、反対側の山の中腹ににあるホーエンシュヴァンガウ城に向かった。馬車に乗るのはやめて、山の東側の斜面に付けられた近道を登って行った。アルプ湖を見下ろすようにして立つこの城は、12世紀にシュヴァンガウ候の居城として建てられたが、その後数百年間は見捨てられたようになっていた。それをマクシミリアン二世がロマンチックな中世風の様式で改築し、古き良き中世を再現した空前絶後の芸術作品と評されている城である。マクシミリアン二世はここで結婚式を挙げ、ルートヴィヒ二世もここで生まれ育った。

 城への入場はノイシュバンシュタイン城の入場と同じくツアーナンバーに従って入っていった。城内は14室が見学可能で希望する言葉のオーディオレシーバーを受け取ってそれで説明を聞く、もちろん日本語のレシーバーも準備されていた。

 各部屋ともニュンヘンブルク製の磁器や豪奢な家具類で飾られていた。内装のフレスコ画はゲルマン民族の伝説をテーマに描いたものだそうだ。2つの城ともに天井画や壁画のフレスコ画は色彩鮮やかである、修復には相当手を掛けていることだろう。


ホテルから見たホーエンシュバンガウ城


ホーエンシュバンガウ城の中庭から見たドイツアルプス


中庭から見たホーエンシュバンガウ城


ホーエンシュバンガウ城のワッペン

 今日は日曜日、しかも天気は快晴、暖かくなってきて観光客が増えてきた。どの店もテラス席まで一杯の観光客でうまり、皆美味しそうにビールのジョッキを傾けている。なかなか席が空かない、これでは昼食を食べ終えるまでどれくらいの時間が掛かるか分からない。仕方なくホテルに引き返し、ホテルの食堂で昼食をとる。また1人分を2人で分けて食べる、が皿が足りない。ウエイターはもう一つの食堂やテラス席に行っていてなかなか来ない。厨房に行って皿をくれるよう頼む。配膳台の下の棚から皿を出してくれる。暖かい食べ物を盛る食器は温めておくように、冷たいものを盛る食器は冷やしておくようになっていた。ホテルの厨房にのこのこ入って行って食器を注文する観光客は私ぐらいだろう。午後1時に昨夜予約しておいたタクシーがホテルに来る。荷物を積み込みリンダーホーフ城へ向かった。地図を見せ、山の中を走る最短距離の道を行って呉れるように頼む。景色の良い道らしく運転手が「これはNice roadだ」と言う。リンダーホーフ城までどれくらいで行くか尋ねると「約20分くらいだ」と言う、思ったより時間が掛からない。走り出して間もなくオーストリアに入った、オーストリアアルプスの雪に覆われた山の中を走る、川なのか、湖なのか分からないが水辺に沿った道路である、水は澄んでいるが雪解け水で冷たそうである。確かに景色は良い。ゆっくり走ってくれれば美しい景色を味わいながらのドライブであるが、慣れた道なのかスピードを出して走りあっという間に山の中を通り抜けた、これではリンダーホーフ城へは20分で行くだろう。国境を越えまたドイツに入って来た。

 不便な所にある城であるが今日は観光客が結構いた。リンダーホーフ城はルードヴィヒ二世が国家財政が傾くほどお金を掛けて造ろうとした3つの城(ノイシュヴァンシュタイン城、ヘレンキームゼー城、リンダーホーフ城)のなかで唯一完成した城である。 見学が終わるまでタクシーを待たせて置く。駐車場の近くにあるチケット売り場に入場券を買いに行き、シニア料金の券を買う。どこでもシニア料金があるか聞いて買うことにしている、日本語で書かれた案内書が有るよと勧められ買った。宮殿まではチケット売り場から500m以上離れていて広い公園の中を10分以上歩く。残念なことに修復のため宮殿の建物全体がテントで覆われていて宮殿の外観は見ることが出来ない。内部に入るため外人が20人くらい並んでいる。チケット売り場から宮殿の案内係りに連絡があったのか、私たちが着いたとき、私たちの入場券に書かれているツアーナンバーが並ぶ列の表示が出された。並んだのは私たちだけ、私たちより前から並んでいた外人より先に案内された。

 説明はオーディオでするが、案内をしたドイツ人女性は、私たちは日本人だねと言いながらオーディオのスイッチを入れたら、ドイツ語での説明が始まったので慌てて日本語での説明に切り替えた。玄関ホールから始まって12くらいの部屋を回った、どの部屋も天井、壁、置かれている調度品はこれ以上の飾りはないというほど贅を尽くしたものでかえってグロテスクな感じがした。特に最後に見た「鏡の間」は四方八方が鏡でそれを取り巻く飾り、シャンデリアがそれぞれの鏡に映り、それがまた次々に鏡に映ってどんどん広がっていき、どこが入り口か、どこが出口なのか分からない。シャンデリアに灯が入るとどんな感じになるのか気が狂うのではないかと思われた。

 出口は宮殿の裏で、山から階段の様になっている斜面を落ちてくる滝、多段滝の正面であった。宮殿の裏は日陰になっていて、雪がまだ溶けないで凍り付いておりミュンヘンからみると標高の高い山間にある城であることが分かる。庭園は約50ヘクタールの広さがあるとのことだが、これは宮殿の周りで整備された範囲であり、本当はどこまでが敷地なのか分からない。公園の中には王のヒュッテ、聖アンナ礼拝堂、映画「ルードヴィヒ二世」に出てくるヴェーヌスの洞穴、ムーア人のキオスク、フンディングヒュッテ、モロッコハウス等の建造物があちこちに散らばって建っている。残念ながら時間が無かったので見ることが出来なかった。金メッキされた噴水群「フローラと天使」が中央にある宮殿前面の池を見て駐車場へ急いだ。この噴水は自然な傾斜による水圧だけを利用し30mの高さに噴水しているそうである。


宮殿は工事中で、テントで覆われていたがこの様な建物である


玄関ホール 天井の漆喰


東のゴブランルームの天井画
   「アポロとオーロラ」


謁 見 の 間

宮殿の裏にあるカスケード
(大理石で出来ている30段の多段滝)


宮殿前の噴水池


噴水池の中央にある噴水群「フローラと天使」


鏡 の 間

 乗ってきたタクシーを駐車場で探すと木陰に停まっていた。運転手は車の中で昼寝をしていた。今日最後の見学予定地であるオーバーアマガウの街へ向かった。

 リンダーホーフ城を発って約15分位経ったあたりで小さな町並みに入って来た。あちこちの建物の壁に絵が描いてある。窓の周りには窓を飾るように図案化された模様が描かれている。オーバーアマガウの街だ、以外と早く着いた。何せこのタクシーの運転手はスピードを出して飛ばすので目的地には早く着くがその代わり沿道の景色はゆっくり見られない。運転手は客を目的地に送り届けて早く帰りたいのだろう。沿道の景色を説明しながら走ってもドイツ語が通じない客ではどうしようもないと思っているのか。

 タクシーはここオーバーアマガウで乗り捨て、荷物は駅のロッカーに預けて、街を散策する計画でいたので取りあえず駅に行ってもらった。田舎の駅なのでロッカーの数が少ない、しかも全部使用中になっていた。街のメインストリートを散策するだけで1時間は掛かりそうだ、ウィンドウショッピングなどをすればもっと掛かる。スーツケースを引きずりながらの散策はしたくない。Kさんが「ロッカーは無いし、ここの見学はやめて早くミュンヘンに行こう」と言ったが、「この街の建物の壁画を見るために観光客がわざわざ来る街でもあり、最初から見学する予定だから見て行こう」と言うと、「そんなに有名なのか」と言って見ることにした。タクシーをロッカー代わりに使うことにして、タクシーを街の端まで引き返してもらい、散策しながら駅まで歩くので荷物を積んだまま駅で待っているように運転手に言ってタクシーを下車した。

 オーバーアマガウはミュンヘンから列車で2時間足らずの山間にあり、冬は雪深い街というより村である。この村を有名にしたのは、370年前から村人たちの手によって10年に1度上演される「キリスト受難劇」である。5~10月にかけて村人の手で上演される劇は、朝から昼休みをはさんで夕方まで続き、総出演者は2,000人を越すという大スペクタルで、上演の年には50万人以上の観客が世界中からやって来るそうである。

 家々の壁にカラフルなフレスコ画が描かれ、また昔から木彫りの彫刻物を彫る職人たちが暮らしていた村であることでも有名である。壁に描かれたフレスコ画は赤ずきんや7匹の子ヤギなど童話を題材にしたものもあり、キリストにまつわる宗教画、窓の周りを飾る図案画など、どの壁にも美しい絵が描かれていた。村には特産品の木彫りを売る店があちこちに見られたが、精密にして豪華に造られたもので小さい物でも値の張る物ばかりであった。レストランのテラスはどこもビールやワインを飲む観光客で一杯だった。


オーバーアマガウの家に描かれたフレスコ画
    題材は童話「赤ずきん」


このフレスコ画は窓枠を宗教画で飾った作品である




この絵は窓と一体に考えた作品である


オーバーアマガウの家々に描かれたフレスコ画は、窓枠を飾るもの・宗教画・童話を題材にしたものが多い


外壁に描かれたフレスコ画

 タクシーの運転手は商売熱心でこのままミュンヘンまで行かないかと誘がミュンヘン着があまり遅くならないようにオーバーアマガウ17:38発の列車に乗り、Murnau(ムルナウ)でオーストリアのインスブルックの方から来るミュンヘン行きの列車に乗り換えて行くことにした。列車は山間を曲がりくねりながらムルナウへ下って行った。

 列車に乗るとき、目が届く近くに荷物が置けないときは、荷物置き場か自転車置き場(ドイツでは列車に自転車や犬を一緒に乗せることが出来る)に、荷物を持って行かれないように3つの荷物をロープ状の錠で縛りまとめて置いた。オーバーアマガウからの列車に乗ったときもそのようにして置いた。乗り換え駅のムルナウに着いたとき、錠をはずしてそれぞれ荷物を運ぼうとしたが錠がはずれない。荷物はひとまとめになっているので運べない。錠は番号を合わせて開ける物であるが、番号を合わせる錠の部分が小さいので一つを合わせて次の番号を合わせるとき最初に合わせた番号が動く、これが3つ有るから3つを合わせるのに苦労する。急げば急ぐほどなかなか合わない。やっと合わせても開かない。そのうちK夫人が「番号あわせの場所には縦の線が入っていたのでは」と言った。錠の裏側で番号合わせをしていたことになる。これでは開かないのが当然だ。終点の駅なので車両がすぐには動かないが荷物が有るところは薄暗く、また乗り換えの列車も間もなく来るので、取りあえず荷物をホームに下ろすことにした。4人で持ち上げ、運んだが3つの荷物を同時に運び出すには列車の出入り口が狭い。やっとの事でホームに運び出し、番号を合わせたがやはり開かない。Kさんに「番号が違うのではないの」と聞くが「私の持っている錠はすべて同じ番号にしているので絶対その番号だ」と言う。錠が壊れたのかもしれない、ロープを切るしかしょうがないなと思っていると、Kさんが「思い出した。その錠だけはこれこれの番号だ」と言う。その番号を合わせると難なく開いた。勘違いをしたために錠は開かない、すぐ下りて乗り換えしなければならない、焦る気持ちが重なって頭が真っ白になったらしい。珍道中だけあっていろいろハプニングがある。今日のハプニングはこれだけではなかった。それはミュンヘンに着いて日本ではあり得ない事に遭遇した。

 ムルナウから南へ行けばガルミッシュ・パルテンキルヘンの街を経由し、登山電車とロープウェイを利用すれば山頂駅から数十メートル歩くだけでドイツの最高峰ツークシュピッツェ(標高2,967m)の山頂に簡単に登ることが出来る。ムルナウから約2時間で富士山より簡単に登山出来ると案内書には書いてあるが、この時季の山は真冬で雪と氷に覆われている。最初から登山の予定はしていない。私たちは北へ約1時間でミュンヘンに着いた。地図を見るとミュンヘンの近くで列車はルートヴィヒ二世が謎の溺死をしたシュタルンベルク湖の近くを通るので気を付けていたが見ることが出来なかった。

 ミュンヘン中央駅からSバーンで4駅乗れば私たちの今晩泊まるホテル、ヒルトン・ミュンヘン・シティがある Rosenheimer Pl.(ローゼンハイマー プラッツ)へ着く。Sバーンの地下駅へ下りて行った。ホームへ下りる階段が封鎖されている。この階段は工事中なのかと思い、他の階段を探したがどれも封鎖されている。地下街にある店に入りSバーンのホームに下りる階段はどこか尋ねると、今日は日曜日なのでSバーンは走っていない、休みだと言う。エェ!! そんな馬鹿な。東京でいえば山手線、中央線、京浜東北線、総武線など、関西でいえば環状線、東海道山陽線、福知山線などが休みだという。ガイドブックにはそのような事は書いて無く、旅行社も教えて呉れなかった。いつからそのようになったのか聞くと2ヶ月前からだと言う。日曜日だからと言って近郊電車を休みにするなんて日本では考えられない事である。バスで行くしかないと言ってバスの停留所の場所を教えて呉れた。地上に上がって教えて呉れたバスの停留場へ向かった。後ろでバタンと人が倒れる音がした。振り向くとY夫人が転んでいる、引っ張っていたスーツケースが歩道のポールに引っかかり、その弾みで転んだらしい。「大丈夫ですか?」と聞くと「大丈夫」と答えるが、膝を石畳にしたたか打ち付けて相当痛そうである。バス停に行っても何処行きのバスに乗ればローゼンハイマー・プラッツを通るのか分からない。暗くなった中央駅の近くをうろうろしていると危険だと聞いていたのでタクシーに乗ることにした。駅前のタクシー乗り場に行き、危険なタクシーでないかよく吟味してタクシーを拾いホテルに向かった。道路は結構混雑している、ホテルの前まで来たがUターンをして来ないとホテルの玄関に付けられない。ホテルの近くでUターン出来ないのでどんどん先へ行く、だいぶ行った所でUターンしてやっとホテルに着いた。この旅行中Kさんは、どこでも分からないことがあると、すぐあちこちに訊きに行って情報を得てきてくれ、随分助かっていたがその積極性がホテルのチェックインの時にも現れる。バウチャー(ホテルのクーポン券)は私が預かっているが、どこのホテルに行ってもKさんが私より先にフロントに行ってチェックインの手続きをするので、バウチャーを預かっている私としては大急ぎでフロントに行かなければならない。今日もチェックインですべての部屋は No Smoking の部屋で良いと言ったらしい。私だけ煙草を吸うので部屋を換えてもらうようにチェックインの仕直しをした。またミュンヘンを離れるときになって分かったことであるがチェックインのとき案内書が渡され、それには希望が有れば日本茶をサービスしますとか、11時過ぎには日本人スタッフが来ますなどが書かれていたがKさんだけが受け取っていて私たちは知らなかった。Kさんは他の人も同じ物を貰っているものと思っていたらしい。日本人スタッフが来ることが分かっていればミュンヘンの情報がたくさん得られたと思うと残念だった。ヒルトンホテルはさすがアメリカのホテルである、喫煙の部屋と禁煙の部屋は階によって分離されていた。

 夕食はホテルの向かいにあるチャイニーズレストランへ行った。日曜日で家族連れの客で混雑していた。メニューを見たが中国語とドイツ語で書かれていて何がなんだかよく分からないが、漢字を見ながら食べ物の見当をつける。量はどうなっているのか周りの人たちが食べているものを見て注文する品数を決める。ご飯物も欲しかったのでチャーハンを一つ注文したが、他の料理を注文するとそれにご飯が付いてくる。その量が生半可な量ではない。これではチャーハンを頼む必要はなかったと思った。精算は T/C(トラベラーズチェック)でも良いと言うので準備をして待っていてもウェートレスがなかなか来ない。1人が多くのテーブルを担当していて、よく見ると私たちのテーブルを担当しているウェートレスはアイスクリームを他のテーブルにサービスしている。精算のために私たちのテーブルに来るとアイスクリームが溶けてしまう。仕方がないのでそれが終わるまで待った。

 ホテルに帰ってもすぐ寝るわけにはいかない。明日は月曜日で私たちが見学したい公の施設が休みの所がある。火曜日が休みの所もあり、ミュンヘン2日半の滞在で何日に何処をどの順序で回って見るか計画を立て直さなければならない。資料を片手に所要時間を考慮しながら計画を立てた。風呂に入って寝ようと時計を見ると時刻は2時近くになっていた。

 バスタブへお湯を入れようとしたら日本語で注意書きがしている、「2分でお湯があふれます、目を離さないよう気を付けて下さい」、わざわざ日本語で注意書きがしてあるのはお湯をあふれさせ床を水浸しにした日本人が今までにたくさん居たに違いない。確かに今までのホテルに比べお湯の出る量が多く、オーバーフローしてお湯が抜けていく量より入る量が多い。12時を過ぎると換気扇が自動的に止まっていて蒸気が抜けない、鏡も曇ったままである。朝は6時に自動的に換気扇が作動しだした、真夜中は止めるらしい。


ドイツ旅行 一口メモ

ドイツのトイレ

①男性小便用はドイツに限らず欧米系は同じであるが、壺の位置が高く、小さい。
 従って中高年の日本人は背が低いので背伸びをしながら、ホース(オチンチン)を少し上向きにして用を達さなければならない。このような男性の苦労をご婦人方は知らない。
②大便用も便座の位置が高い。子供が座っているように足が浮く。力むとき踏ん張れないので、俵屋宗達の襖絵「風神雷神図」のように宙に浮いていても踏ん張るイメージを持たなければならない。
③トイレットペーパーはしっかりしているので切るときは、スナップを効かせてパッと下に引っ張るとミシン目できれいに切れる。日本のようにホルダーの蓋で切るようにはなっていない。
④ホテルのロビー、美術館、劇場、デパート、レストランなどでは、トイレは日本と同じようにGentlemen, Ladiesとか男の絵,女の絵で表示されているが、駅や街の中の公衆トイレはドイツ語だけの表示の所もある。
   Damen(ダーメン)が女性用 、Herren(ヘーレン)が男性用


DamenとHerren についての小話


 ある日本人男性がドイツを旅行していた。街の中で急にお腹の具合が悪くなり、トイレに行きたくなった。やっと Toilette の表示を見つけ駆け込もうとした。
 入り口の表示を見るとDamen(ダーメン)と書いてある、これをこの男は「駄ーメ」と読んでここには入れないと思った。慌てて隣の入り口に移るとそこにはHerren(ヘーレン)と書いてある。これを「入れん」と読んでしまった。「やっとトイレを見つけたのに、私はどうすれば良いんだ」と叫んだ。