今日は午前中はレジデンツ、午後は美術館アルテ・ピナコテークを見学する予定で出かけた。昨日行ったマリエン広場があるマリエン・プラッツ駅までSバーンで行き、そこから10分程度歩けばレジデンツである。歩いていると写真で見たことのある建物が目に入った、ダルマイヤーのビルだ。
ダルマイヤーというのは、ドイツ全国にその名を知られた高級食材店で、ハム、ソーセージ、オリジナル・ブランドのジャム、ワイン、コーヒーなどが有名だが、日本のデパ地下のように総菜、果物なども売っている。2階はオリジナルブランドのテーブルウエアーなどの販売をしており、食器類を豊富に取り扱っていて高価なものばかりである。レストランも経営している。イースターのお祭りが近いこともあり、ショー・ウインドーの飾りが綺麗でショー・ウインドーの前を通る人々が足を止めて見入っていた。明日ここで買い物をしたい人もいたので、何をどの場所で売っているのか調べておいた。
レジデンツ前の広場に来た。正面にレジデンツ、右手にバイエルン州立歌劇場、左手奥に2つの塔を持つ黄色の建物・テアティーナ教会が見える。レジデンツは大きな建物なので入り口を探して歩き回ると大変なことになる。Kさんがレストランのテラス席を整備していたウエイターに入り口の場所を聞いた。私たちの顔を見て「英語が話せるか」と聞く、「少しだけ」と行って、私のきれいな?broken Englishで尋ねると分かったらしく入り口の方を指差しながら教えてくれた。Kさんは「俺は英語で聞いているのに通じなかったのか」と言って落ち込んだ。Kさんは英会話の勉強のためにロンドンに語学留学をした人である。
レジデンツは14世紀末、ヴィッテルスバッハ家のシュテファン3世により築城された宮殿で、以来何度となく増改築が繰り返され、ルネッサンス、ロココ、バロック、新古典主義の各様式が混在する珍しい建物といわれている。現在宮殿内部は、レジデンツ博物館と宝物館として公開している。
レジデンツ全景 右端に見える柱は州立歌劇場
アンティーク・クヴァリウム(考古館)
ペルセウスの泉(すべて貝で装飾されている)
大理石の間(壁・床などが大理石で造られている)
ヴィッテルスバッハ家の祖先画ギャラリー
レジデンツ宝物館の展示物
皇帝の広間
レジデンツ陶磁器収集館の展示物
金の食器類
チケット売り場に行くと入場料表示板の横に日本語と中国語で入場料を書いた紙が貼ってあった。ここの係りは英語が堪能でないらしく、ドイツ語が話せないアジア人のために作ったらしい。宝物館から先に見るように案内してくれたが、片言の日本語で「タカラ、タカラ」と言って宝物館の入り口を指差した。
宝物館にはヴィッテルスバッハ家に代々伝わる宝物が10室にわたって展示され、華麗な装飾が施された王冠をはじめカメオ、彫刻と宝石で飾られた剣などの豪華な作品が並び、トルコ、ペルシャ(イラク)など中東から渡来した美術品もあった。
レジデンツ博物館は広いの一語につきる。何せ見学する部屋数が130室近い、午前と午後とで見学できる場所を一部変えている様であるがそれにしても100室くらい回る、ひと回り歩くだけでも大変だ。早足で素通りするような見方で、どんな部屋があってどうなっていたのか殆ど覚えていない、覚えられるものではない。記憶に残っているものは、ヴィッテルスバッハ家における歴代の王とその子孫121人の肖像画が並ぶ祖先画ギャラリー、アルブレヒト5世が収集した古代の巨像が展示してあるアンティーク・クヴァリウム、マイセンなど有名窯の食器類を集めた名陶磁器コレクションの部屋、他の城や宮殿にもあったが洞窟のように造った部屋、鏡をふんだんに使った鏡の間があり、部屋によっては天井に描かれたフレスコ画も素晴らしいので、まわりに飾られた展示物だけでなく天井も見なければならないので足だけでなく首も疲れる。第2次世界大戦の爆撃で相当破壊された写真も有ったので、疎開させる事の出来なかったもので、どれが前からあったものか、どれが新しく再建・修復されたものかわからない。
オペラもコンサートも時間の関係で行くのは諦めていたが、せめて一見の価値があると薦められていたクヴィリエー劇場(旧レジデンツ劇場)の内部だけは見学したいと思っていた。世界で最も美しいロココ様式の劇場と言われていて、豊かな彫刻の内装は第2次世界大戦の被害を受けることなく現在に至っている。
一度外に出てレジデンツを1/4周し劇場の入り口に行ったが扉が閉まっている。力を入れてガタガタ押しても引いても開かない。近くの部屋に入り事務を執っていた人に「劇場を見たいが扉が閉まっているがどこから入るのか」訊いたが「知らない」と言う。「夜コンサートが催されるときはリハーサルのため休みになることがある」と言う。そう言えば広場に面した所に今晩ベートーベンの室内楽コンサートの案内が出ていた。チケット売り場に戻り、劇場は閉まっていて見る事が出来ない、どうして閉まっているのか訊いたが分からないと言う。それでは劇場分の見学料金を返せと言うと、あそこは別料金で皆さんからは貰っていないと言うので、隣にいた男性にもう一度劇場はどうして閉まっているのか訊くと、料金は返せないと言う。私たちが金を返せと文句を言っているものと勘違いをしている。劇場が閉まっている理由を訊いているのだと言うと、天井を指差して「天に訊いてくれ、天のみぞ知る、私には分からない」と惚けている。残念だが諦めるしかなかった。レジデンツ博物館の北側には広大な敷地の王宮庭園があり、引き続きその北側に面積が約3.7k㎡のヨーロッパ屈指の大きさを誇るイギリス庭園がある。少し覗いて見たいと思ったが何せ時間がない、午後はアルテ・ピナコテーク(美術館)に行く予定である。
昼も大分回っていたので昼食かたがたケーキ店「クロイツカム」に行った。ジュビロ磐田のサッカー選手「ゴン」こと中山雅史がドイツ遠征の折り、怪我をして入院していたときお見舞いに貰ったバームクーヘンのケーキが大変美味しかった。その味が忘れられず、そのバームクーヘンを作ったケーキ店を探しに中山雅史と女優の生田智子夫妻がミュンヘンを訪ねるという番組をテレビで放映していた。これをKさんが見ていて是非そのケーキ店に行って見たいという、その店が「クロイツカム」である。地図を見るとクロイツカムはレジデンツからそう遠くはない、店の近くに行ったがなかなか見つからない。大きなビルに沢山の店が入っている。ビルの中の洋服店に入ってクロイツカムの場所を聞くとあちらだと言って最初見当をつけたあたりを教える。店の名がドイツ語の飾り文字で書かれているので読めない、店を一軒ずつ覗いて探し当てた。壁の色がクリーム色で明るい感じの結構広い喫茶店を併設している。中高年の上品なご婦人方のたまり場のようで殆どが女性客で少数居た男性も女性に付き合って来ている感じであった。「バームクーヘンの味はどうだった?」かって、あちこちのケーキを食べ歩いている訳ではないので美味しかったとも普通だとも言えない。日本に帰って「ユーハイム」のバームクーヘンを食べてみたが同じようなものである。バームクーヘンはドイツのケーキのように宣伝されているがドイツのケーキでは無い、ドイツで修業した日本人のケーキ職人が、日本に帰って来て作ったケーキをあたかもドイツのケーキとして宣伝したという説もある。
ユーハイムのパンフレットに拠ると、バームクーヘンはドイツの伝統的な焼菓子でドイツで一流のケーキ職人の証である「マイスター」になるためには、バームクーヘンを美しく焼きあげることが求められている、またドイツ菓子組合のシンボルマークにもなっている。創始者カール・ユーハイムが日本で初めてバームクーヘンを焼いたのが1917年でその伝統をもとに、職人たちが試行錯誤を重ね、配合と焼成方法を見直したと書いてある。
今度「ユーハイム」がドイツに店を出すと聞いたが、「クロイツカム」と「ユーハイム」がバームクーヘンで競い合うとどちらに軍配が挙がるのか見物である。
クロイツカムへ向かう途中の店のショーウインドー
クロイツカムが入っているビルディング
クロイツカムの前の停留所でトラム N19 に乗り、カールスプラッツでピナコテーク方面に行くトラムに乗り換える。カールスプラッツはいろいろな行き先のトラムが沢山通過する駅で眼が届く範囲に3つの駅がある。隣の駅に行くには地下道を使わなければならない。ピナコテーク方面に行くトラム N27 はどの駅か調べなければならない。走っているトラムの番号を見てあちらの駅だと言って移動する。ホームが2本あり、どちらのホームに N27 のトラムが来るのか迷う、N27 のトラムが隣のホームを走っている、急いで隣のホームに移ると来たのは 27 のトラムだ、これは反対の方に行くトラムだ、先程見たトラムはホームとホームの間にあった大鏡に写っていた映像だ、実際は反対側のホームである。ニンフェンブルク城であっちに行ったり、こっちに行ったりして迷ったのと同じことをやっている。”何でこうなるの!”と思う。やっとホームが判って待っているが N27 は止まらないで行ってしまう。なぜだ! ここのホームは長い、ひとつのホームにいろんな行き先のトラムが来るのでトラムによって止まる位置が決まっていた。N27 のトラムは北端を使っている、中央で待っていても乗れないのは当たり前だ。アウクスブルクで経験したDB(ドイツ鉄道)のホームの使い方と同じだ、6人があっちへチョロチョロ、こっちへチョロチョロ移動している私たちを見て他の人は何をしているのだろうと思っただろう。やっとの事で目的のトラムに乗り、Pinakothek(ピナコテーク)の表示が出たら降りるようにみんなに言う。
アルテ・ピナコテークがある地区は美術館、博物館、高校、大学、研究所などが広い公園の中に散らばってある文化施設地区で、東京で言えば上野公園に似た感じである。美術館だけでも古代美術博物館、彫刻美術館、レーンバッハハウス市立美術館、アルテ・ピナコテーク、ノイエ・ピナコテーク、ピナコテーク・デア・モデルネなど6つもある。
これから私たちが見ようとしているアルテ・ピナコテークの所蔵品はバイエルン王家のコレクションが基になっていて14~17世紀のヨーロッパの絵画を中心に、年代別、国別に展示され、宗教画が多く、キリスト教の歴史等と共にヨーロッパ古典美術の名作が鑑賞でき、ドイツ・ルネッサンスを代表するアルドルファー、デューラー、クラナッハをはじめ、レンブラント、ルーベンスなどの傑作も多数揃っている美術館で所蔵する絵画の数は5000点を超えるそうである。、フランスのルーブル美術館、イギリスの大英博物館などと並んで世界6大美術館の一つとされている。アルテとは古い、ピナコテークとは絵画館という意味である。ノイエ・ピナコテークは新しい絵画館という意味で、こちらには18~20世紀のヨーロッパの作品を中心にマネ、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンなどの名作が展示されている。
建物に行く途中、乳母車に幼児を乗せベンチで一休みしている夫婦に会った。乳母車に乗っている幼児が実に可愛い、チョットからかって見たが幼児は笑わず夫婦が笑っている。入り口のチケット売り場でまた一悶着あった。「シニア料金で6人」と言ったら私たちの顔を見て、「3人はシニアでない」と言う。Kさんが Yes と言っているので、「No, No みんなシニアで私は65歳だ」と言うと「あんたが一番若い」と言う。みんながパスポートを見せようとカバンから出し、Kさんがパスポートを見せると、後の人は良いと納得する。帽子をかぶったままだと子供みたいに見えるけど、帽子を取って頭を見せればパスポートを出さなくても納得しただろうとH子さんが言った。
中に入るには荷物をロッカールームに預けろと言う、最初からその予定だったのでロッカールームに行くと係りの男性が一度に来ないで一列に並べと言う、一列に並ぶと私たちの荷物を見て、あちらのコインロッカーを使えと言う。ロッカールームはクロークになっていて上等な着る物(コート)や荷物を預かる所であり、私たちの汚いリュックなどはコインロッカーに預けさせるらしい。やっと中に入った、どこに行っても初めての所なので中に入るまでにもたもたする。入った1階は広いホールになっていて奥に2階に通じる大きい階段が左右にある。全部見るには半日かかると聞いていた、閉館時間まで居ても3時間くらいしかない、どこの部屋に誰の絵があり、どの部屋から見て廻るのが有効か、案内図を見るがドイツ語で書かれているので分からない。取りあえず、さ~っと見て、どの部屋にどんな絵があるか調べ、後でゆっくり見たいところに帰ってきて見ることにして2階に上がって行った。
最初に入った部屋で「エ~ェ!」と言って足が釘付けになった。初期のドイツ絵画の展示室で今まで名前は知らなかったが、アルドルファー、デューラー、クラナッハなどが描いた大きな絵に圧倒される。祭壇画と思われるがこのような絵は美術館での展覧会では見たことがない。日本では印象派の画家が描いた絵は借りてきてよく展覧会を催すが、このような絵はあまり借りてこない。デューラーの「四人の使徒」はバイエルン大公が神聖ローマ帝国皇帝と競い合った末、手に入れだもので門外不出とされている。隣の部屋は初期オランダの絵画、さ~っと見てから、ゆっくり見たいところに帰ってくると言っていたが、最初の部屋から足の運びが鈍い。結局、最初からゆっくり見る事となった、名前がよく知られているエル・グレコ、ラファエロ、ルーベンス、レンブラントなどの絵が次から次と連なっているホールのような大きな部屋に所狭しと沢山の絵が展示してある。一枚の絵が大きいので一部屋、一部屋が実に大きく広い。大きい絵ではないがラファエロの「テンピの聖母」があった。これはイタリア・フィレンツェのテンピ家が所蔵していたもので、ルードヴィヒ一世が20年にわたってテンピ家と交渉し、当時の大臣の20年分の給料に当たる金を出して手にいれた絵である。中央に連なっている部屋があまりにも大きいので、平行して外側にある部屋がまるで廊下のような感じである。こちらにも有名画家の小さめの絵がびっしりと展示されている。一枚だけで何千万円もする絵が無造作に展示されている。日本に持ってくればガラスケースに収めるような絵である。一番感動したのはルーベンスルーム(ホール)であった。
一応見終わってミュージアム・ショップでオリジナルグッズや絵ハガキを買う。H子さんが「ブリューゲルの絵ハガキがあるのに絵が展示してなかった」と言う。「今まで見たのは2階の部屋で1階の部屋は未だ見ていない、それは1階にある部屋に展示してあるのだろう」と言うと「見たい」と言う。Kさん夫妻は疲れていて入り口ホールの椅子に座っていたが、さ~っと見ることにした。1階の展示室は入り口ホールを挟んで東側と西側に分かれている。東側展示室に入るドアが開かない、2階に上がるとき1階にあるカフェの奥に一つ扉があるのを見ていたので、カフェの中を通って奥のドアを開けると開いた。中に入ると監視員だけで誰もいない。6つくらいの部屋を廻ったがドイツ初期の絵ばかりで目的のフリューゲルの絵が無い。私たちが部屋を移動すると監視員が付いてまわる、私たちが何か悪戯でもするのではないかと監視している。奥に未だ部屋があるはずだがどこから入るのか聞くともう無いという、後で調べたら予備の展示室になっていて今は公開していなかった。西側の展示室のドアも隠れたところにある。みんながショップでグッズを買っているとき、ショップの裏にドアがあるのを目ざとく調べていた。そのドアは簡単に開いた、「ある、ある、フリューゲルの絵が」H子さんが「これだ~っ!」と叫んだ。5部屋にわたってびっしり展示されている。その奥の3つの大部屋にはフランスの有名な絵が展示されていた。もう少しゆっくり見ていたかったがKさん一族は相当疲れていたので帰ることにした。出口で、入るとき一悶着おこしたチケット売り場のおっさんが「グッズを買ったのか」とか「さようなら」とか言って手をふったりしてやけに愛想が良い、全員シニアだと言った私たちのことを疑ったのを気にしているようであった。
アルテ・ピナコテーク
絵画展示室(ルーベンス・ホール)
絵画展示室
4人の使徒(デューラー作)
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テンピの聖母(ラファエロ作)
今晩の食事は街のマーケットや屋台で売っていたホワイトアスパラを食べてみようとダルマイヤーのレストランに行った、ホワイトアスパラは今が旬らしい。高級なレストランにドレスアップもしないでリュックを背負って入るのは気が引けたが、入って見たいという皆んなの意志で勇気を出して入った、というか皆んなでやれば怖くないという心境であった。ワインもビールも注文しないでジュースだけを注文したのでウエイターが変な顔をしていた。メニューを持って来たが書いてあることがサッパリ分からない、兎に角ホワイトアスパラが食べたいと言ってそれを注文した、しかも6人いて3つしか注文しない。他の料理(メインディシュ)はメニューを見てもどれがどんな料理で量がどれくらいあるのか分からない。前菜だけを二人で分けて食べ、終わりにした、前菜だけでメインディシュを注文しないので、ウエイターはますます変な客だという顔をする。隣の席の中年夫婦らしい客はウエイターに何か文句を言っている、マネージャーが出てきて謝りトラブルは解決した。H子さんがウエイターに高島屋のダルマイヤーのパンフレットを見せて、「日本のデパートにもダルマイヤーの店がある」と言うと、「どんなデパートか」と聞く、「トラディショナルなデパートだ」と言う。ミュンヘン三越があまりにも小さいのでデパートと言ってもどんなデパートかと思ったのだろう。パンフレットをマネージャーに見せたいと言って報告に行った。帰りに出口でウエイターに「ご馳走様」と言うと、「なんと言ったのか」と聞くので、「日本では食事の後にはご馳走様と言う」と教えると、「ゴチソ~サマ、ゴチソ~サマ」と何回も反復していた。お腹が丈夫でない私には空腹ぐらいが身体のためには良いが、夕食があまりにも貧弱だったのでホテルに帰ってからダルマイヤーの1階で買ったポテトサラダとバナナ、そしてホテルのフロントのカウンターに飾ってあったリンゴが美味しそうだったのでそれを貰って食べた。今日は夕食については恥ずかしいことをした。Kさんは夜お腹が空いて眠れなかったらしい。
ダルマイヤー
このような貧弱な食事で終わりにしたので夜お腹がすいた
(ダルマイヤーのレストランにて)
駅のエスカレーターは、普段は上りと下りの2系統のエスカレーターが動いているが、時間帯により利用する人の数によってほとんどのエスカレーターが上りだけ、下りだけの1系統になる。間違って下りたり、上がったりすると元の場所に来るには階段を使う事になる
ダルマイヤーというのは、ドイツ全国にその名を知られた高級食材店で、ハム、ソーセージ、オリジナル・ブランドのジャム、ワイン、コーヒーなどが有名だが、日本のデパ地下のように総菜、果物なども売っている。2階はオリジナルブランドのテーブルウエアーなどの販売をしており、食器類を豊富に取り扱っていて高価なものばかりである。レストランも経営している。イースターのお祭りが近いこともあり、ショー・ウインドーの飾りが綺麗でショー・ウインドーの前を通る人々が足を止めて見入っていた。明日ここで買い物をしたい人もいたので、何をどの場所で売っているのか調べておいた。
レジデンツ前の広場に来た。正面にレジデンツ、右手にバイエルン州立歌劇場、左手奥に2つの塔を持つ黄色の建物・テアティーナ教会が見える。レジデンツは大きな建物なので入り口を探して歩き回ると大変なことになる。Kさんがレストランのテラス席を整備していたウエイターに入り口の場所を聞いた。私たちの顔を見て「英語が話せるか」と聞く、「少しだけ」と行って、私のきれいな?broken Englishで尋ねると分かったらしく入り口の方を指差しながら教えてくれた。Kさんは「俺は英語で聞いているのに通じなかったのか」と言って落ち込んだ。Kさんは英会話の勉強のためにロンドンに語学留学をした人である。
レジデンツは14世紀末、ヴィッテルスバッハ家のシュテファン3世により築城された宮殿で、以来何度となく増改築が繰り返され、ルネッサンス、ロココ、バロック、新古典主義の各様式が混在する珍しい建物といわれている。現在宮殿内部は、レジデンツ博物館と宝物館として公開している。
レジデンツ全景 右端に見える柱は州立歌劇場
アンティーク・クヴァリウム(考古館)
ペルセウスの泉(すべて貝で装飾されている)
大理石の間(壁・床などが大理石で造られている)
ヴィッテルスバッハ家の祖先画ギャラリー
レジデンツ宝物館の展示物
皇帝の広間
レジデンツ陶磁器収集館の展示物
金の食器類
チケット売り場に行くと入場料表示板の横に日本語と中国語で入場料を書いた紙が貼ってあった。ここの係りは英語が堪能でないらしく、ドイツ語が話せないアジア人のために作ったらしい。宝物館から先に見るように案内してくれたが、片言の日本語で「タカラ、タカラ」と言って宝物館の入り口を指差した。
宝物館にはヴィッテルスバッハ家に代々伝わる宝物が10室にわたって展示され、華麗な装飾が施された王冠をはじめカメオ、彫刻と宝石で飾られた剣などの豪華な作品が並び、トルコ、ペルシャ(イラク)など中東から渡来した美術品もあった。
レジデンツ博物館は広いの一語につきる。何せ見学する部屋数が130室近い、午前と午後とで見学できる場所を一部変えている様であるがそれにしても100室くらい回る、ひと回り歩くだけでも大変だ。早足で素通りするような見方で、どんな部屋があってどうなっていたのか殆ど覚えていない、覚えられるものではない。記憶に残っているものは、ヴィッテルスバッハ家における歴代の王とその子孫121人の肖像画が並ぶ祖先画ギャラリー、アルブレヒト5世が収集した古代の巨像が展示してあるアンティーク・クヴァリウム、マイセンなど有名窯の食器類を集めた名陶磁器コレクションの部屋、他の城や宮殿にもあったが洞窟のように造った部屋、鏡をふんだんに使った鏡の間があり、部屋によっては天井に描かれたフレスコ画も素晴らしいので、まわりに飾られた展示物だけでなく天井も見なければならないので足だけでなく首も疲れる。第2次世界大戦の爆撃で相当破壊された写真も有ったので、疎開させる事の出来なかったもので、どれが前からあったものか、どれが新しく再建・修復されたものかわからない。
オペラもコンサートも時間の関係で行くのは諦めていたが、せめて一見の価値があると薦められていたクヴィリエー劇場(旧レジデンツ劇場)の内部だけは見学したいと思っていた。世界で最も美しいロココ様式の劇場と言われていて、豊かな彫刻の内装は第2次世界大戦の被害を受けることなく現在に至っている。
一度外に出てレジデンツを1/4周し劇場の入り口に行ったが扉が閉まっている。力を入れてガタガタ押しても引いても開かない。近くの部屋に入り事務を執っていた人に「劇場を見たいが扉が閉まっているがどこから入るのか」訊いたが「知らない」と言う。「夜コンサートが催されるときはリハーサルのため休みになることがある」と言う。そう言えば広場に面した所に今晩ベートーベンの室内楽コンサートの案内が出ていた。チケット売り場に戻り、劇場は閉まっていて見る事が出来ない、どうして閉まっているのか訊いたが分からないと言う。それでは劇場分の見学料金を返せと言うと、あそこは別料金で皆さんからは貰っていないと言うので、隣にいた男性にもう一度劇場はどうして閉まっているのか訊くと、料金は返せないと言う。私たちが金を返せと文句を言っているものと勘違いをしている。劇場が閉まっている理由を訊いているのだと言うと、天井を指差して「天に訊いてくれ、天のみぞ知る、私には分からない」と惚けている。残念だが諦めるしかなかった。レジデンツ博物館の北側には広大な敷地の王宮庭園があり、引き続きその北側に面積が約3.7k㎡のヨーロッパ屈指の大きさを誇るイギリス庭園がある。少し覗いて見たいと思ったが何せ時間がない、午後はアルテ・ピナコテーク(美術館)に行く予定である。
昼も大分回っていたので昼食かたがたケーキ店「クロイツカム」に行った。ジュビロ磐田のサッカー選手「ゴン」こと中山雅史がドイツ遠征の折り、怪我をして入院していたときお見舞いに貰ったバームクーヘンのケーキが大変美味しかった。その味が忘れられず、そのバームクーヘンを作ったケーキ店を探しに中山雅史と女優の生田智子夫妻がミュンヘンを訪ねるという番組をテレビで放映していた。これをKさんが見ていて是非そのケーキ店に行って見たいという、その店が「クロイツカム」である。地図を見るとクロイツカムはレジデンツからそう遠くはない、店の近くに行ったがなかなか見つからない。大きなビルに沢山の店が入っている。ビルの中の洋服店に入ってクロイツカムの場所を聞くとあちらだと言って最初見当をつけたあたりを教える。店の名がドイツ語の飾り文字で書かれているので読めない、店を一軒ずつ覗いて探し当てた。壁の色がクリーム色で明るい感じの結構広い喫茶店を併設している。中高年の上品なご婦人方のたまり場のようで殆どが女性客で少数居た男性も女性に付き合って来ている感じであった。「バームクーヘンの味はどうだった?」かって、あちこちのケーキを食べ歩いている訳ではないので美味しかったとも普通だとも言えない。日本に帰って「ユーハイム」のバームクーヘンを食べてみたが同じようなものである。バームクーヘンはドイツのケーキのように宣伝されているがドイツのケーキでは無い、ドイツで修業した日本人のケーキ職人が、日本に帰って来て作ったケーキをあたかもドイツのケーキとして宣伝したという説もある。
ユーハイムのパンフレットに拠ると、バームクーヘンはドイツの伝統的な焼菓子でドイツで一流のケーキ職人の証である「マイスター」になるためには、バームクーヘンを美しく焼きあげることが求められている、またドイツ菓子組合のシンボルマークにもなっている。創始者カール・ユーハイムが日本で初めてバームクーヘンを焼いたのが1917年でその伝統をもとに、職人たちが試行錯誤を重ね、配合と焼成方法を見直したと書いてある。
今度「ユーハイム」がドイツに店を出すと聞いたが、「クロイツカム」と「ユーハイム」がバームクーヘンで競い合うとどちらに軍配が挙がるのか見物である。
クロイツカムへ向かう途中の店のショーウインドー
クロイツカムが入っているビルディング
クロイツカムの前の停留所でトラム N19 に乗り、カールスプラッツでピナコテーク方面に行くトラムに乗り換える。カールスプラッツはいろいろな行き先のトラムが沢山通過する駅で眼が届く範囲に3つの駅がある。隣の駅に行くには地下道を使わなければならない。ピナコテーク方面に行くトラム N27 はどの駅か調べなければならない。走っているトラムの番号を見てあちらの駅だと言って移動する。ホームが2本あり、どちらのホームに N27 のトラムが来るのか迷う、N27 のトラムが隣のホームを走っている、急いで隣のホームに移ると来たのは 27 のトラムだ、これは反対の方に行くトラムだ、先程見たトラムはホームとホームの間にあった大鏡に写っていた映像だ、実際は反対側のホームである。ニンフェンブルク城であっちに行ったり、こっちに行ったりして迷ったのと同じことをやっている。”何でこうなるの!”と思う。やっとホームが判って待っているが N27 は止まらないで行ってしまう。なぜだ! ここのホームは長い、ひとつのホームにいろんな行き先のトラムが来るのでトラムによって止まる位置が決まっていた。N27 のトラムは北端を使っている、中央で待っていても乗れないのは当たり前だ。アウクスブルクで経験したDB(ドイツ鉄道)のホームの使い方と同じだ、6人があっちへチョロチョロ、こっちへチョロチョロ移動している私たちを見て他の人は何をしているのだろうと思っただろう。やっとの事で目的のトラムに乗り、Pinakothek(ピナコテーク)の表示が出たら降りるようにみんなに言う。
アルテ・ピナコテークがある地区は美術館、博物館、高校、大学、研究所などが広い公園の中に散らばってある文化施設地区で、東京で言えば上野公園に似た感じである。美術館だけでも古代美術博物館、彫刻美術館、レーンバッハハウス市立美術館、アルテ・ピナコテーク、ノイエ・ピナコテーク、ピナコテーク・デア・モデルネなど6つもある。
これから私たちが見ようとしているアルテ・ピナコテークの所蔵品はバイエルン王家のコレクションが基になっていて14~17世紀のヨーロッパの絵画を中心に、年代別、国別に展示され、宗教画が多く、キリスト教の歴史等と共にヨーロッパ古典美術の名作が鑑賞でき、ドイツ・ルネッサンスを代表するアルドルファー、デューラー、クラナッハをはじめ、レンブラント、ルーベンスなどの傑作も多数揃っている美術館で所蔵する絵画の数は5000点を超えるそうである。、フランスのルーブル美術館、イギリスの大英博物館などと並んで世界6大美術館の一つとされている。アルテとは古い、ピナコテークとは絵画館という意味である。ノイエ・ピナコテークは新しい絵画館という意味で、こちらには18~20世紀のヨーロッパの作品を中心にマネ、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンなどの名作が展示されている。
建物に行く途中、乳母車に幼児を乗せベンチで一休みしている夫婦に会った。乳母車に乗っている幼児が実に可愛い、チョットからかって見たが幼児は笑わず夫婦が笑っている。入り口のチケット売り場でまた一悶着あった。「シニア料金で6人」と言ったら私たちの顔を見て、「3人はシニアでない」と言う。Kさんが Yes と言っているので、「No, No みんなシニアで私は65歳だ」と言うと「あんたが一番若い」と言う。みんながパスポートを見せようとカバンから出し、Kさんがパスポートを見せると、後の人は良いと納得する。帽子をかぶったままだと子供みたいに見えるけど、帽子を取って頭を見せればパスポートを出さなくても納得しただろうとH子さんが言った。
中に入るには荷物をロッカールームに預けろと言う、最初からその予定だったのでロッカールームに行くと係りの男性が一度に来ないで一列に並べと言う、一列に並ぶと私たちの荷物を見て、あちらのコインロッカーを使えと言う。ロッカールームはクロークになっていて上等な着る物(コート)や荷物を預かる所であり、私たちの汚いリュックなどはコインロッカーに預けさせるらしい。やっと中に入った、どこに行っても初めての所なので中に入るまでにもたもたする。入った1階は広いホールになっていて奥に2階に通じる大きい階段が左右にある。全部見るには半日かかると聞いていた、閉館時間まで居ても3時間くらいしかない、どこの部屋に誰の絵があり、どの部屋から見て廻るのが有効か、案内図を見るがドイツ語で書かれているので分からない。取りあえず、さ~っと見て、どの部屋にどんな絵があるか調べ、後でゆっくり見たいところに帰ってきて見ることにして2階に上がって行った。
最初に入った部屋で「エ~ェ!」と言って足が釘付けになった。初期のドイツ絵画の展示室で今まで名前は知らなかったが、アルドルファー、デューラー、クラナッハなどが描いた大きな絵に圧倒される。祭壇画と思われるがこのような絵は美術館での展覧会では見たことがない。日本では印象派の画家が描いた絵は借りてきてよく展覧会を催すが、このような絵はあまり借りてこない。デューラーの「四人の使徒」はバイエルン大公が神聖ローマ帝国皇帝と競い合った末、手に入れだもので門外不出とされている。隣の部屋は初期オランダの絵画、さ~っと見てから、ゆっくり見たいところに帰ってくると言っていたが、最初の部屋から足の運びが鈍い。結局、最初からゆっくり見る事となった、名前がよく知られているエル・グレコ、ラファエロ、ルーベンス、レンブラントなどの絵が次から次と連なっているホールのような大きな部屋に所狭しと沢山の絵が展示してある。一枚の絵が大きいので一部屋、一部屋が実に大きく広い。大きい絵ではないがラファエロの「テンピの聖母」があった。これはイタリア・フィレンツェのテンピ家が所蔵していたもので、ルードヴィヒ一世が20年にわたってテンピ家と交渉し、当時の大臣の20年分の給料に当たる金を出して手にいれた絵である。中央に連なっている部屋があまりにも大きいので、平行して外側にある部屋がまるで廊下のような感じである。こちらにも有名画家の小さめの絵がびっしりと展示されている。一枚だけで何千万円もする絵が無造作に展示されている。日本に持ってくればガラスケースに収めるような絵である。一番感動したのはルーベンスルーム(ホール)であった。
一応見終わってミュージアム・ショップでオリジナルグッズや絵ハガキを買う。H子さんが「ブリューゲルの絵ハガキがあるのに絵が展示してなかった」と言う。「今まで見たのは2階の部屋で1階の部屋は未だ見ていない、それは1階にある部屋に展示してあるのだろう」と言うと「見たい」と言う。Kさん夫妻は疲れていて入り口ホールの椅子に座っていたが、さ~っと見ることにした。1階の展示室は入り口ホールを挟んで東側と西側に分かれている。東側展示室に入るドアが開かない、2階に上がるとき1階にあるカフェの奥に一つ扉があるのを見ていたので、カフェの中を通って奥のドアを開けると開いた。中に入ると監視員だけで誰もいない。6つくらいの部屋を廻ったがドイツ初期の絵ばかりで目的のフリューゲルの絵が無い。私たちが部屋を移動すると監視員が付いてまわる、私たちが何か悪戯でもするのではないかと監視している。奥に未だ部屋があるはずだがどこから入るのか聞くともう無いという、後で調べたら予備の展示室になっていて今は公開していなかった。西側の展示室のドアも隠れたところにある。みんながショップでグッズを買っているとき、ショップの裏にドアがあるのを目ざとく調べていた。そのドアは簡単に開いた、「ある、ある、フリューゲルの絵が」H子さんが「これだ~っ!」と叫んだ。5部屋にわたってびっしり展示されている。その奥の3つの大部屋にはフランスの有名な絵が展示されていた。もう少しゆっくり見ていたかったがKさん一族は相当疲れていたので帰ることにした。出口で、入るとき一悶着おこしたチケット売り場のおっさんが「グッズを買ったのか」とか「さようなら」とか言って手をふったりしてやけに愛想が良い、全員シニアだと言った私たちのことを疑ったのを気にしているようであった。
アルテ・ピナコテーク
絵画展示室(ルーベンス・ホール)
絵画展示室
4人の使徒(デューラー作)
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テンピの聖母(ラファエロ作)
今晩の食事は街のマーケットや屋台で売っていたホワイトアスパラを食べてみようとダルマイヤーのレストランに行った、ホワイトアスパラは今が旬らしい。高級なレストランにドレスアップもしないでリュックを背負って入るのは気が引けたが、入って見たいという皆んなの意志で勇気を出して入った、というか皆んなでやれば怖くないという心境であった。ワインもビールも注文しないでジュースだけを注文したのでウエイターが変な顔をしていた。メニューを持って来たが書いてあることがサッパリ分からない、兎に角ホワイトアスパラが食べたいと言ってそれを注文した、しかも6人いて3つしか注文しない。他の料理(メインディシュ)はメニューを見てもどれがどんな料理で量がどれくらいあるのか分からない。前菜だけを二人で分けて食べ、終わりにした、前菜だけでメインディシュを注文しないので、ウエイターはますます変な客だという顔をする。隣の席の中年夫婦らしい客はウエイターに何か文句を言っている、マネージャーが出てきて謝りトラブルは解決した。H子さんがウエイターに高島屋のダルマイヤーのパンフレットを見せて、「日本のデパートにもダルマイヤーの店がある」と言うと、「どんなデパートか」と聞く、「トラディショナルなデパートだ」と言う。ミュンヘン三越があまりにも小さいのでデパートと言ってもどんなデパートかと思ったのだろう。パンフレットをマネージャーに見せたいと言って報告に行った。帰りに出口でウエイターに「ご馳走様」と言うと、「なんと言ったのか」と聞くので、「日本では食事の後にはご馳走様と言う」と教えると、「ゴチソ~サマ、ゴチソ~サマ」と何回も反復していた。お腹が丈夫でない私には空腹ぐらいが身体のためには良いが、夕食があまりにも貧弱だったのでホテルに帰ってからダルマイヤーの1階で買ったポテトサラダとバナナ、そしてホテルのフロントのカウンターに飾ってあったリンゴが美味しそうだったのでそれを貰って食べた。今日は夕食については恥ずかしいことをした。Kさんは夜お腹が空いて眠れなかったらしい。
ダルマイヤー
このような貧弱な食事で終わりにしたので夜お腹がすいた
(ダルマイヤーのレストランにて)
ドイツ旅行 一口メモ
エスカレーター
ドイツ(Frankfurt と Munchen)のエスカレーターの乗り方は関西方式である。右側に乗り、左側を急ぐ人のために開けておく。東京方式の習慣でつい左側に立っていて急ぐ人に迷惑をかけた。駅のエスカレーターは、普段は上りと下りの2系統のエスカレーターが動いているが、時間帯により利用する人の数によってほとんどのエスカレーターが上りだけ、下りだけの1系統になる。間違って下りたり、上がったりすると元の場所に来るには階段を使う事になる