アンリ・シバの旅日記

列車で巡る南ドイツの旅(バイエルン地方)

南ドイツ旅行・珍道中記

第3日目 4/10(木) フランクフルト市内見学


 9時ホテルを出る。2台のタクシーに分乗して行くと、降りる場所が昨日のように分かれると困る。またタクシー代を節約したい考えもあり、シャトルバスを利用し、空港経由で市内に向かうことにした。スーツケースを持たないで、リュックだけ背負って、シャトルバスに乗ろうとすると、運転手が「またこいつらか」というような顔をしてにやにや笑う。運転席の隣の席に座ろうと思い、左に回ってドアを開ける。ハンドルがある、ここは運転席だ。ドイツでは助手席は右側である。アッ!間違えた、運転手が笑いながら右側のドアを開けて待っている。他の外人も笑っている。習慣というものはこわいものである。また今日も何か有りそうな予感がした。

 空港に着き、Sバーンの駅へと第一ターミナルへ急ぐ。地下へ降りるが駅がない。よく見るとここは第二ターミナルだ。ということはシャトルバスは第一ターミナルに着いていたことになる。バスは第一ターミナルに着いているのに、わざわざ第二ターミナルに移動したことになる。昨日のシャトルバスの停留所は第二ターミナルであった。「どうしてこうなるの」と思いながら、また第一ターミナルへ引き返す。第一ターミナルと第二ターミナルを行ったり、来たり、人が見ていたら「あなた達は何しているの」とお笑いである。先に乗っていた外人が、第一ターミナルへ行くように言ったか、空港で待っていた客が第一ターミナルに来るように頼んだか、どちらかに違いない。今日は列車にはジャーマンレイルパスを使わないでキップを買って乗る。キップを買う練習をしよう。しかし、自動券売機でのキップの買い方が分からない。日本のように図案化された路線図があって駅名と運賃が書いて有るわけではない。インフォメーションで聞くとチケットオフィスで買えると言う。チケットオフィスは長距離列車のキップを買う人で長蛇の列である。券売機で人がどのようにしてチケットを買っているか見ていた。何人かが買うのを見ていたが分からない。キップを買っていたご婦人が、あなた達もキップを買うのか尋ね、買い方を教えて呉れるが英語ではない。英語が出来る人を呼び止めて買い方を教えてやれと言っているようだ。5人くらい集まってきて、ああだ、こうだと言っている。券売機に沢山の駅名が書いてありその後に番号が書いてある。また大人1枚か、2枚か、5枚か、子供1枚か、・・・・などの乗車券の種類のボタンがあるがドイツ語なので分からない。ドイツでは5人一緒でキップを買うと安くなる。日本ではこんなことはない。我々は6人いたのでどのように買うと良いか、ああだ、こうだと言っていたのだ。ドイツでの自動券売機でのキップの買い方は、先ず行き先の駅名を探しその番号を入力する、次に大人1枚とか大人5枚のボタンを押す、すると画面に料金が表示される。その料金を入れるとキップが出てくる。文盲であることが生活する上でこんなにも不便なことか身をもって体験する。キップすら買えないとは、皇室の殿下の身分のようなものだ。やっとキップは買えたが、またここでどのホームで乗ればよいか迷ってしまう。やっとホームを見つけて降りると人で混雑している。なかなか電車が来ないためだ。15分も来ないらしい。何故遅れているのか、どんな事故があったのか、ドイツ語の分からない我々はどうしようもない。果たしてこのまま待っていて電車は来るのか。ドイツ人はのんびりしたもので周りで文句を言っている人はいない。今日はゲーテハウス、パウルス教会、レーマー、大聖堂などを見る予定にしている。

 Uバーン(地下鉄)の willy-Brandt Pl(ウイリ-ブランドプラッツ)で降りてゲーテハウスへ向かった。Y夫人の子息が三越に勤めているというので、もしフランクフルト三越に転勤になったら案内して連れて来なくては、ということでフランクフルト三越に立ち寄り建物の前で記念撮影をする。

 
フランクフルト三越の近くの路上で大きな犬を連れた親子に会い、犬を褒めるとたいそう喜んだ


ゲーテハウスの入り口で

 ゲーテハウスに入るとリュックなど荷物は預けることになっていてカウンターの下から6人分の荷物が入る大きなロッカーが出てきた。パンフレットはないか尋ねると、日本語のパンフレットが準備されていて6人分出してきたが有料だと言う。私たちは貧乏だからと言って一部だけ買う。中はゲーテが生まれ育った家と博物館がある。ゲーテの家は第2次大戦でほとんど壊れたが忠実に復元したとのこと、調度品も疎開していたため、当時一家が使用していたものがそのままの状態で置かれていた。「若きヴェルテルの悩み」もここで書かれたという詩人の部屋にはゲーテ愛用の机があった。四階建ての家であるが、二階に上がる階段4段まではゲーテが住んでいた当時のものだと監視員のおっさんが説明して呉れた。板張りの床は歩くたびにウグイス張りのように音がする。ギョーテ(ゲーテ)、ギョーテ(ゲーテ)と鳴っているとまたくだらないことを言いながら見て回る。博物館の方にはゲーテと同時代の画家や彫刻家達の作品が沢山あり、14の部屋がつながっていて入ってきた入口と次の部屋への入口が同じような感じなので作品を見ているうちに、入口と出口が分からなくなってしまう。弘子さんは丁寧に絵を観ていた。先の部屋で待っていたがなかなか来ない。迷ったらしい。3つくらいの部屋しか見ないで玄関に降りて行ったらしい。ハワイのアラモアナのトイレで出口を間違えて反対の入口に出て1時間無駄にしたことを思い出した。

 ゲーテハウスを出たとき、とっくに昼を過ぎていたのでファーストフードで昼食でもと思ったが、適当な店がなかなか見つからない。イタリアン風のバー兼レストランの店があったので入ることにした。例によっていくつかの食べ物をみんなで分けて食べようとして、そのことをウエートレスに話すが英語が通じない。絵を描きながら何回説明してもこちらの意図が分からないらしい。取りあえず2品頼んだ。他の人は何も食べないのかと言って頭を傾ける。注文した品に付いているパンがきた。何も注文しないでパンを食べている私の顔を見て笑っている。みんなが食べているのを見て、分け合って食べるのだと気が付く。6人分の皿、ホークなどを持ってきた。もう1品追加注文した。チップをはずんでやったら大喜びで帰るときみんなに握手をしてお礼を言った。

 第一回フランクフルト国民会議が開かれ、統一的ドイツ国憲法を作成するための協議がなされたというパウルス教会を見てレーマーに行った。3つの切妻型の建物が並んでいて、その中央がレーマーとよばれる旧市庁舎。15世紀の建築で2階バルコニーの上には政治家やスポーツ選手の彫像が置かれている。世界的なスポーツ大会でドイツの選手が優秀な成績を収めて凱旋したときは、いつもここで凱旋集会が行われ、レーマー前の広場が民衆で埋め尽くされるそうである。建物の2階には、かって皇帝選出後の祝賀会が催されたカイザー・ザール(皇帝の間)があり、カール大帝からフランツ2世まで、ドイツ出身の神聖ローマ帝国皇帝52人の肖像が有るというので入って見ようと思ったが、今日はスペッシャルデーだと言う。どういう事か聞くと、あいにく今日だけ休みという意味であった。ドイツにオリンピックを誘致するのかバルコニーには看板、広場にはテントなどを組み立てていて集会を開く準備をしていた。


第1回フランクフルト国民会議が開かれたパウルス教会の内部。
中世ドイツの各地方の王国の旗が周りを囲んでいた。


パウルス教会の前の建物の彫像が素晴らしかった。入り口の上の彫刻しか写っていないが上の方の窓の間の柱に素晴らしい彫像が並んでいた


中央がレーマーと呼ばれる旧市庁舎。この建物の2階にある カイザー・ザール(皇帝の間)を見たかったが休みで見られなかった。


レーマー広場に面した建物

 日が沈み空気が冷えてきた。頭が痛いくらい冷たくなってきて帽子をかぶっていないことに気がついた。ホテルを出るときはかぶっていた。写真を撮るとき弘子さんに預けたような気もしたので何処かに落としたのではないかと疑った。よく考えてみると昼間のレストランに置き忘れたかも知れない。帰りに寄って見ることにした。

 大聖堂は工事中だったのでマイン川を渡ってザクセンハウゼン(南地区)の住宅街を見た。日本のマンション街のようなものだが、高さも外観も統一されていて綺麗である。工事中(建築中)の建物もあったが窓のあたりの飾り、彫刻を施す外壁、こんなところに金を掛けなくてもと思われるほど、以前から有る建物に調和するように建てられていた。
 
マイン川に架かる鉄橋から見たドイツ騎士修道会教会


鉄橋の上でドイツ騎士修道会教会をバックに記念撮影


歴史博物館をバックに記念撮影


フランクフルト ザクセンハウゼン地区のアパート

 夕食は、毎日新聞フランクフルト支社長が新聞紙上で紹介していた魚料理のレストランに是非行ってみたいとKさんが言うので行ってみた。レストランだけでなく魚屋の店もやっている。「新聞に紹介されていたので来た」と言ったら、「新聞は外のキヨスクで売っている」と言う。「そうではなくお宅の店が新聞に紹介されていた」と言っても英語が通じない。

 レストランでメニューを見るが、新聞で紹介されていた料理の名前が分からない。ウエートレスは英語が出来ない。「英語が出来る子がいるので連れてくる」と言う。さっき英語が通じなかった子が来た。これはもうダメだと思った。メニューを見ながら料理の内容を聞き、何とかそれらしい料理を注文した。

 
魚屋のレストランでは料理名は分からないが 支社長が推薦しているらしい、このような料理を 食べることになった

 帽子のことがあるので帰りに昼食に行ったレストランに寄った。昼間のスタッフが全部替わっていた。事情を話すと、忘れ物、落とし物を預かっている戸棚を丁寧に調べて呉れたが、残念ながら無いと言う。これから寒いドイツアルプスの麓へ行くというのに帽子がなくては困る。ドイツで子供用の帽子でも買わなければならないかと思って残念がっていると、店員もいたく同情してくれる。窓際に座っていたので落ちていないか、座っていたあたりを弘子さんが外から覗いているが無いと言う。店を出てから7時間は経っているから誰かが持っていっても不思議ではない。諦めきれないので、客が座っているが、外からガラス越しに覗いてみる。お客も店員も私を見ている。客が座っている椅子の下に黒い影のような物が見えるような気がするが、帽子ではと思うのはそこに帽子があって欲しいと願っているからだろうか。

 自分の目で確かめておかないと、いつまでも後悔するのではないかと思い、確かめようとまた店に入って行った。私が座っていた場所に目をやると、すでに店員が行って屈み、椅子の下を調べていた。店員が帽子を掲げこちらを見た。私の帽子だ。私は「それだ !!」という仕草で指さした。店員は小走りに持ってきて手渡し喜んでくれている。他のスタッフも良かったと笑顔で見ている。お客も事情を察したらしく、手をたたいて喜んでくれていた。丁重にお礼を述べ、店を後にSバーンの駅へ向かった。

 激しくクラクションを鳴らしながら車が走ってくる。2・3台ではなく数が多い。タクシーも混ざっている。若者たちが窓から身を乗り出して、旗を掲げている。旗はイラクの旗のようだ。日本を発つときイラク戦争まっただ中であった。若者たちの嬉しそうな顔を見て、フセイン政権が倒れ、イラク戦争が終結したのだろうと思った。

 駅の近くにずいぶん賑わっているカフェがある。店は由緒ありそうな建物でちょっと覗いてみたいと思ったが時間が遅いので我慢し、急いで駅のホームへ降りて行った。後で調べたらハウプトヴァッヘというカフェで1729年に建てられたバロック様式の建物、当時の交通の要所であったこの場所に、警備本部兼監獄として建てられた。現在はカフェとして市民の憩いの場になっており、またUバーン、Sバーンのほとんどの線がここの地下にある駅を通っているので待ち合わせに最適なカフェにもなっている。

 タクシー代節約のため空港経由でシャトルバスを利用してホテルへ。空港までの電車のキップは朝苦労した甲斐あってすぐ買えた。空港に着いたがシャトルバスは何時まで走っているか、こんなに遅くなるとは思わなかったので確認をしてこなかった。JALのカウンターも閉まっている。シャトルバスの停留所へ行ったが何時まで走っているか時刻表がない。昨日はJALの職員が電話をしてくれたが今日はいない。停留所の表示塔にホテル名がたくさん書いてある。受話器をはずし、Queens Hotel のボタンを押してみた。フロントにつながった。ホテルの電話番号を覚えていなくてもホテル名を押せば直通でフロントへつながるようになっている。客の立場を考えて便利にできている。シャトルバスはまだ走っているとのこと、10分位でそちらに着くとの返事で安心した。お客は我々6人だけ、またこの連中かという顔で運転手が見ている。ホテルに着き、降りるときチップをはずんだら急に穏やかな顔になった。


ドイツ旅行 一口メモ

電車(Sバーン,Uバーン,トラム)の乗車券の券売機での買い方

① 券売機に書いてある駅名の中から、行き先の駅名を探しその番号を調べる。
② 券売機に行き先の駅の番号を入力する。
③大人1枚、大人2枚、大人5枚か、子供1枚、大人1枚と子供1枚・・・・などの乗車券の種類のボタンを押す。
④ 料金が表示されるので、その料金を入れる。
⑤ 乗車券が出てくる。
注:ドイツでは5人まとまって買うと、割引の5人用の団体券がある。