アンリ・シバの旅日記

列車で巡る南ドイツの旅(バイエルン地方)

南ドイツ旅行・珍道中記

第2日目 8/9(水) ライン河クルーズ


今朝は天気もよく予定通りのライン河クルーズ。パック・ツアーで行くとRudesheim(リューデスハイム)からSt.Goarshausen(ザンクト・ゴアーズハウゼン)までの2時間コースが一般的である。私たちは当初 Mainz(マインツ)から Koblenz(コブレンツ)まで6時間クルーズを計画したが、出発直前になって4月26日までの冬季時刻表では Koblenz(コブレンツ)まで就航していないことが判明し、St.Goar(ザンクト・ゴアール)まで船で下り、船が就航していない Koblenz(コブレンツ)までは列車に乗り車窓から景色を眺めることにした。

 Mainz(マインツ)9:45発の船に乗るには Frankfurt.Hbf を 8:46発の列車に乗らなければならない。8:15にはロビーに降りタクシーに乗る予定がタクシーがいない。私たちの前に2組の外国人がタクシーを待っている。タクシーがなかなか来ない。ドイツ国内旅行の初日にしてここからハプニングの連続と珍道中が始まった。

 フロントに行ってタクシーを呼んで貰うが、すでに呼んでいるので間もなく来るとの返事。でもなかなか来ない。再度フロントに話すと「すぐ来るから慌てなさんな」とのんびりしたもの。いつもはどんどん来て玄関に並んでいる状態がこの日だけ来なかったようである。やっと、客を乗せたタクシーがホテルに来た。時間も迫っていたので客が降りたタクシーに乗り込んだ。しかしタクシーは動かない。運転手がドイツ語でまくしたてている。どうやら降りろと言っているようだ。後で分かったことであるが営業権の関係でホテルに客を乗せて来ても良いが、ここで客を拾ってはいけないタクシーだったらしい。タクシーの運転手同士でわめいていたが、私たちが降りないので仕方なく走り出した。6人で行ったので2台のタクシーに分乗したが私たちの乗ったタクシーの運転手はドイツ語しか話せない。行き先を言っても英語が通じない。何とか話しているうちにフランクフルト中央駅に行きたいことが分かったらしい。通勤時間帯で道が混んでいる。急にお腹が変になりトイレに行きたくなった。こんなに渋滞していて駅まで我慢できるだろうか心配になった。やっと駅に到着したがもう一台の連中がいない。私たちは駅の南側に着いている、もう一台は駅の正面に着いているかも知れない。大きな駅なので落ち合えるか心配だ。とにかく正面に行って見ることにした。乗る予定の列車はとっくに発車している。

  駅の正面に行ってみた。正面といっても端から端まで結構距離がある。タクシーが着く場所はどこだ。やっと探し当てて行って見るといたいた。下手に動かないでいてくれて助かった。乗る予定の列車はもう出てしまった後なので取りあえずトイレに駆け込んだ。入口には遊園地の入口のようにグルグル回るパイプがあり、お金を入れないと入れる様に回らない。ドイツではトイレを使用するとき入口に皿が置いてあり、チップがいるとは聞いていたがこれはチップではなく使用料だ。解らないドイツ語を読むとどうやら60セント必要だ。パイプの横にコインを入れるらしい穴がある。小銭を探している間にモレてしまいそうだ。ドイツに来て初めてお金を使うのがトイレ使用料とは考えもしなかった。トルコ人らしい女性が今にもモレそうな姿勢で入って来た。二人で顔を見合わせた。お互いバツの悪い顔になった。 60セント入れて果たしてパイプが回り中に入ることが出来るか、急を要しているので入れてみた。パイプが回った、入れた、急いで個室に駆け込む。一応、用は達したが60セントも払っているので早く出るのも癪だ、少しの間座っていたら隣の個室の掃除が始まった。足下を洗剤の泡の水が流れる。早く出るよう嫌がらせをしているようであった。

 Wiesbaden(ビィースバーデン)で乗り換えて、Rudesheim(リューデスハイム)へ行く列車があるので、それに乗れば Rudesheim(リューデスハイム)で最初に乗る予定であった Mainz(マインツ)から下ってくる船に乗船出来る。駅に着いてから船乗り場に行く時間は十分ある。ジャーマンレールパスが使える手続きをしなければならない。チケットオフィスに行く、人が並んでいてなかなか順番が回ってこない。やっと手続きが終わり、これでドイツの列車に自由に乗ることが出来る。時計を見る、Wiesbaden(ビィースバーデン)行きの列車は既に発車してしまっていた。

 次の列車を調べる。ライン河右岸を走って Rudesheim(リューデスハイム)を通る列車がある。しかし、駅に着いてから船が出航するまでに15分しかない。駅から船着場まで距離は200mか300m、初めての土地でうろうろしていると船に乗り遅れる。が取りあえず行って見ることにして、列車の発車ホームを確認しておく。24番線での発車の表示であるが24番線は工事中である。工事の人に聞くとホームのずっと先が乗り場になっていると言う。中央駅のホームはどれも長い。朝から駆けずり回ったので、列車が入線するまでマクドナルドでコーヒーを飲んで休むことにした。またトイレに行きたくなった。地下にトイレがある。見ていると入口にお金を置く皿があり、おばさんが座っており、トイレを使って出てきた人がお金を置いている。またここでもお金が要る。あいにく小銭がない。弘子さんと二人で行って1ユーロ出し、二人分だと言って、入るときに支払った。あまり綺麗なトイレではない。次の客? がドアを開けようとガタガタするのでゆっくり座っておれない。出てくると入口にこんどはおじさんが座っている。入るときにお金は支払ったと言う。途中で番人が替わるのは困る。

 やっと列車に乗り、発車したので一安心。しかし、まだお腹の具合が良くない。いつもお腹をこわし下痢をするときの状態が始まったらしい。ドイツに来て2日目からこの状態では先が思いやられる。列車の中でまたトイレに行く。Rudesheim(リューデスハイム)には11:01に着く予定。駅に着いたらさっと降りて船着場まで走る心構えでいた。11:01駅に着いた。全員すぐ降りてライン河の方へ走った。河まで遠い。300mどころではない。うろうろしている間に自動車専用道路に紛れ込んだ。車がすごいスピードで走っている。アウトバーンの末端かも知れない。来る車、来る車の運転手がすごい顔つきで睨み、外に出るように手を振っている。河の方へ行くにはこの道路を横切らねばならない。丸の内のビルの池で孵ったカルガモの雛が皇居のお堀に行くのに車の多い道路を横切るのと同じだ。勇気を出して横切った。ブッシュをかき分け、かき分け河畔に出たが船着き場らしきものは見当たらない。途方に暮れているところにサイクリングの親子が来た。Kさんが事情を話すと、ここはRudesheim(リューデスハイム)ではなく、ひとつ手前であるあることが分かった。時計を見てRudesheim(リューデスハイム)到着の時刻だったので下車したのだが、列車が少し遅れていたために手前の駅で降りたらしい。ドイツの駅は次の駅の表示がない。私たちが降りた駅には駅の表示がホームにも列車から見える場所にない。放送も日本のように何回も丁寧にはしない。

 サイクリングの親子にタクシーを呼んで貰えないか話すと、携帯電話であちこち連絡して呉れるが、車の入れる道もなく、この地域はタクシーも少ないので呼ぶことは出来ないと言う。1km下った所に子供の遊び場があるので、そこからならタクシーが呼べるかも知れないと言う。親切なドイツ人に感謝をしつつ、仕方なく1km歩くことにした。列車の車窓からもあちこちに見えたが、この河畔にも週末菜園が並んでいる。世田谷にも数カ所区民菜園があり、それを分割して区民に貸しているが、ドイツの個人菜園は、一軒分の広さが世田谷の分割しない広さと同じくらい、作業小屋も立派でまるで別荘地のようだ。アカイヌ山荘も負けるくらい。またトイレに行きたくなった。ライン河の流れを見ながら野糞をすることに決めた。ラインの流れを見ながら野糞をした日本人観光客は、後にも先にも私ぐらいだろう。こんな事は自慢にはならない。

 1km近く歩った所に砂利採石場があった。事務所に入り、タクシーを呼んで貰うように頼んだ。ドイツ語しか話せない人で英語が通じない。Kさんが絵を描いて説明すると、それとなく解って電話で連絡してくれるが、タクシーは来ないとのこと。仕方なく最寄りの駅まで歩くことにした。あちこち電話をして呉れたので、電話代を払うと言うと、要らないと言う。ここでもドイツ人の親切さを感じる。ゆっくりトイレに入りたいので、トイレを貸して呉れるよう頼むと、「ここには無い、この先のあの建物にある」という。行って見ると閉鎖されている。隣りにボートハウスがある。日本のようなボートでなく、細長い競艇用のボートを貸し出す店でレストランもやっている。トイレの使用を頼むとこころよく使って良いと言って呉れる。


ライン河畔のボートハウス


ボートハウスのテラスで昼食をオーダーする

12時をとっくに過ぎていたのでここで昼食を取ることにした。ドイツでは、一人前の料理が、年寄りの日本人一人では食べきれないほど多いので、3つ注文をして5人で分けて食べることにして皿、ナイフ、ホークを5人前頼んだ。ここの女将は察しが良く気っぷもいい。私はお腹をこわしているので紅茶だけ注文した。食べ物のにおいは良く美味しそうであるが、食欲はない。女将に事情を話すとタクシーを呼んでやると言う。食後6人が乗れるワゴン車が来た。Rudesheim(リューデスハイム)まで行ってもらう。車に Taxi という表示がない、メーターもなく降りるとき料金を紙に書いて渡す。白タクだ、でも、あそこでは公の Taxi は来なかっただろう。女将が気を利かせて、困っている日本人を Rudesheim(リューデスハイム)まで行かれるようにしてくれたに違いない。やっと Rudesheim(リューデスハイム)に着いた。Kさんがいろいろ交渉してくれたので助かった。船は午後の便14:15発で少し時間があるので、Rudesheim(リューデスハイム)の街を見学した。朝の4時まで賑わうという有名な「ドロッセルガッセ(つぐみ横町)」は狭い路地にワインの店、お土産屋がぎっしり並び、ディスプレーされたウインドウを見て歩くだけで楽しい。とある一軒の土産物屋Geschenkhaus-lauter(ゲシェンクハウス ラウター)に入る。買っても良いかなと思った「窓飾り」は眼が飛び出すほど高い。小さいのでも高価なので誰も買わなかった。H子さんはIさんにと「ビールジョッキ」を買った。お土産は旅の終わりに近い Munchen(ミュンヘン)か Heidelberg(ハイデルベルグ)で買えば荷物を持ち歩かなくても良いのにと思ったが、Iさんには中国、フランス、カナダなどのお土産を貰っているので、予定している土産物代が無くならない初っぱなに買ったらしい。店の主人が言う「息子が日本人と結婚していて大阪に住んでいる」、孫の写真を出して来て見せる。嬉しそうである。孫が可愛いのは何処の国の年寄りも同じだ。


土産物屋のショーウインドー


土産物店のショーウインドー


土産物屋「ゲシェンクハウス ラウター」内で、この主人の 息子と孫が大阪に住んでいると話していた


建物の外壁に描かれた壁画の一つ

 いよいよ乗船の時刻が近づいたので船着き場に行った。船はいるが乗客がいない。船は出るのか、チケットボックスで聞くと予定通り出航すると言う。乗船の時、何処から来たのか訊かれる、JAPAN と答える。乗船したら一番前の席に座ると良い、と案内書に書いてある。前方と両岸の景色が見えるからである。急いでガツガツ前の席に急ぐ。後あまり客が乗って来ない。ドイツ人2グループと日本人2グループの20人くらいの貸し切りのような感じだ。隅田川の遊覧船はベンチスタイルの椅子が並んでいるだけである。そのイメージでいたらまるっきり違う、船上レストランである。明るく綺麗で沢山の丸テーブルとそれを囲むように椅子が配置されている。我々6人は一つのテーブルで充分。食べ放題、飲み放題ではないが、ワインは飲める、ビールも飲める、軽食からコース料理まで食事もできる。もちろんケーキもあり、コーヒー、紅茶、冷たい飲み物もある。他のテーブルでは先ずビールを飲み出した。つづいてご馳走を頼んでいるらしい。レストランのようになっているが、何も注文をしなくても文句は言わない。ライン船舶運航会社KDは14隻の船を持っており、2000人も乗れる大型の船もある。蒸気機関を装備した外輪船 Dampfer GOETHE(ゲーテ号)が有名だがこの時期は就航していない。私たちは MS LORELEY(ローレライ号)と同じ形をした MS ASBACH(アスバッハ号)に乗った。定員は800~1000人くらいの船である。「第1便の船はほとんどの団体客が乗るので混雑する、小グループなら第2便以降が良い」とフランクフルトのJALの職員が言っていたが、「災い転じて福となす」と言おうか負け惜しみではないが第2便に乗ることになって結果的には良かった。

 シューマンの交響曲第3番「ライン」の曲が流れる、この曲を聞きながら出航する。船上でのスピーカーによる両岸の説明はドイツ語と日本語しかない。他の国の人は乗っていないからフランス語も英語もイタリア語も必要ない。乗船の時何処から来たのか訊かれた意味が判った。観光案内書には、日本語での説明は一番最後にするので、その時は案内している場所は通過した後だと書いてあったが今回はそのようなことはない。

 この時期のライン下りは、河の上は寒く古城が次々現れるでもなく退屈だ、と聞かされていたが、何の何の今日は天気が良く、暖かい。ニーダーヴァルト記念碑、河の中のネズミの塔、ラインシュタイン城、ライヒェンシュタイン城、シュタールエック城、アウフシェーンブルク城、・・・・、次から次と色々な形をした古城が現れる。両岸にある町並みも綺麗で退屈するどころか見飽きない。このまま 5 時間 6 時間乗っていても良いと思う。口淋しくなってきたのでコーヒーを注文した。お腹の具合は落ち着いてきたが、船のトイレを探検することにした。綺麗である。洗面所にガッチリした錠で繋がれた鉄製の箱があり、小銭を入れる穴がある。トイレ使用料は必要ないが「志」をとのことであろう。


船上からのニーダーベルト記念碑、リューデスハイムの遠望


税関の建物だったネズミの塔


ライシュタイン城


ライヒェンシュタイン城


ゾーンエック城


河畔オーバーヴェーセル市のマーティン教会


通行税徴収のために建てられたプファルツ城


グーテンフェルス城

 ライン河一帯は支流モーゼル川を含め歴史は古く、ネアンデルタール人まで遡り、古代はローマ人が街を建設し、現在の流域にある大きな街ケルンやボンはもとはローマ軍の宿泊地であったそうだ。中世にはこれらの河川が商業の大動脈として発展し、近世以降は水運と上流の石炭産出を基に産業革命の中心地になったと言われている。河下り中にも貨物を運ぶ沢山の船に出会った。遊覧船もKDラインだけでなく他の会社も沢山ある。沢山の船が行き来するこの河を運航する船長は相当な技術を要すると思った。浅瀬も至る所に有るらしく、あちこちに旗のついたブイが並んでいる。美しい乙女の歌声に魅せられて船が座礁してしまうローレライの伝説は、あまりにも有名だが、ライン河がローレライの岩塊を急カーブして屈曲する手前には「七人の乙女」とよばれる隠れた岩々があり難所になっている。河を覗いて見た。船が通っているすぐ傍は浅瀬だ。ゆったりとした流れに見えたライン河の水も滝を流れ落ちるように速い。川幅も狭くなりけっこう急流だ。通行税徴収のために河の中州に建てられたブファルツ城を過ぎ、河が大きく右に回るとあの有名なローレライの岩塊、見えてきた。高さ132mの頂上に2本の旗がはためいている。スピーカーからローレライの曲が流れてきた。河の流れも速く、写真を撮るのに構図を考えている間もなく、あっ! という間に通りすぎた。

ラインの流れに立ちはだかる高さ132mの岩礁、 あの有名なローレライが迫ってきた


近くで見るとこの様な一枚岩の塊


ネコ城


マウス(ネズミ)城



一部がホテルとして使われているラインフェル城  この船は Boppard(ボパード)まで下るが、そこまで行くと帰りが夜中になってしまう。出張でドイツに来ていた隣のテーブルの日本人3人組はローレライを過ぎた Oberwesel(オーバーヴェーセル)で下船した。行動が予定より大幅に崩れたので Koblenz(コブレンツ)に行くのは諦め、St.Goar(ザンクト・ゴアール)から列車で引き返すことにして、今下ってきたライン河を車窓から眺めることにした。船に乗るときチケットボックスのお兄さんが、「フランクフルトに帰るなら St.Goarshausen(ザンクト・ゴアースハウゼン)で降りた方が良い」と親切に言ってくれた。

それは St.Goarshausen(ザンクト・ゴアースハウゼン)を通る右岸を走る列車はフランクフルトまで直通で行くからである。ライン河を車窓から見るのは左岸を走る列車が良いが、左岸にある St.Goar(ザンクト・ゴアール)を通る列車は殆どが Mainz(マインツ)止まりで、フランクフルトへは乗り換えしなければならず、時間が掛かるからである。St.Goar(ザンクト・ゴアール)の船着場から駅へは5分で行かれると言う。数少ないフランクフルトへの直通急行列車に乗れそうなので St.Goar(ザンクト・ゴアール)で下船した。約1時間半のライン河クルーズはあっけなく終わった。こんど来るときは Koblenz(コブレンツ)まで4時間位のクルーズを楽しみたい。

 船着場から駅へ行くとき、河沿いの駐車場に Benz、OPEL、BMW、Audi など沢山の車が並んでいる。外車が3台あった。それはトヨタの車である。「ここではトヨタやホンダは外車だ、我々は外人である」とくだらん事を言いながら駅に着いた。大きな駅だと列車の発車時刻とプラットホームの一覧が表示されているが、St.Goar(ザンクト・ゴアール)では表示されていない。フランクフルト行きの列車がどのホームに来るのか迷っていると、中年男のドイツ人が近寄ってきて「どの列車に乗りたいのか」、私の持っている時刻表をみて、「それはこちらのホームで次の次に来る列車に乗るように、次の列車には乗らないように」と親切に教えて呉れる。ホームも分かったので列車が来るまでの間土産物店を見て回った。親切に教えて呉れた人は次に来た列車に乗って行ったが、私たちがいなくなったり、またホームに上がって来てはキョロキョロしているので、間違った列車に乗りはしないか、心配そうに最後まで私たちを見ていた。2階建て展望急行列車が来た。船で下って来たライン河を眺めながらフランクフルトへ向かった。


この赤い2階建て展望急行列車で帰ってきた

 フランクフルト中央駅に着いた。昼間、予算に考えいなかったタクシー代を使ったのでホテルまでのタクシー代を節約したい。ホテルと空港との間をシャトルバスが走っていると聞いていたので、Sバーンで空港に行くことにした。空港までは3駅だからそう遠くない。空港に着いたがシャトルバスの停留所がどこか、この広い空港で探すのは不可能に近い。JALのカウンターに行ったらまだ職員がいた。帰りの飛行機の座席でaisle seat が取れるよう予約をするが10日先のことは約束できないと言う。努力をしてくれるように頼んで、シャトルバスの停留所の場所を訊く。口で言ったのでは到底分からないだろうと判断したのか、停留所まで連れて行って呉れた。時刻表が書いて無いので、まだ来るのか電話で訊いてもらう。ホテルを出たばかりだから間もなく着くと言う返事であった。バスが来た、乗ったのは我々だけだ。このバスは飛行機で空港に着いた客を乗せるためのバスであるのに、リュックだけを背負った客が乗ったので運転手が変な顔をしている。やっとホテルに帰ってきた。波乱万丈の1日であった。日本を発つ前、この旅がどんな珍道中になることやらと冗談を言っていたが、これほど恥ずかしくて人には話せない旅になるとは、本当の珍道中になってしまった。この調子だとあと9日間の旅はどうなる事やら少し心配になってきた。