アンリ・シバの旅日記

列車で巡る南ドイツの旅(バイエルン地方)

南ドイツ旅行・珍道中記

第4日目 4/11(金) フランクフルト → ヴュルツブルク → ローテンブルク



 今日からは日本人観光客に人気のロマンティック街道を列車で回る。全部の街を回るのは不可能なので、ロマンティック街道の起点である Wurzburg(ヴュルツブルク)、中世の町並みが美しい Rothenburg Ob Der Tauber(ローテンブルク)、ロマンティック街道の終点であり保養地としても有名な Fussen(フュッセン)、あの有名な Schloss Neuschwanstein(ノイシュバンシュタイン城)がある Hohenschwangau(ホーエンシュヴァンガウ)へ。今日は Wurzburg(ヴュルツブルク)で途中下車してマリエンベルク要塞と世界遺産に指定されているレジデンツを見て Rothenburg(ローテンブルク)へ向かう。

 Frankfurt Hbf 8:19発の列車に乗るため前夜6人乗りのタクシーを予約しておいた。ライン河下りの日のように、またタクシーが来なくて列車に乗り遅れるとWurzburg(ヴュルツブルク)が見学出来なくなるからだ。今日からはスーツケースを持っての移動である。7:30 ホテルの玄関に出た。ワゴン車タイプのタクシーが待っている。早速荷物を積み込み乗車しようとすると運転手が人数を数えている。1人多いと言う。我々は6人乗りのタクシーを頼んだと言うと、運転手を含めて6人乗りだと言う。また今日も朝からトラブルだ。2台に分かれてまた駅で別々の場所に着くと困る。一緒に乗せてくれるように頼むと定員オーバーだと言う。我々はドイツ人に比べて身体が小さい、「six children(6人の子供)だ、1人屈んで隠れて乗るから良いだろう」と交渉する。こんな所であまり時間を取りたくない。まあ、良いだろうとウインクをする。座席をみると日本では8人乗りの広さの車である。ドイツでは身体が大きいから6人乗り(運転手を含めて)かも知れない。6人一緒に乗せてやるからチップをはずめと言っているようにも感じられた。

 乗車する列車のホームを掲示板で調べる。FRANZ LISZT と名の付いた国際列車で、Koln(ケルン)始発である。Frankfurt(フランクフルト)、Munchen(ミュンヘン)、オーストリアの Wien(ウィーン)を経由して、ハンガリーの Budapest(ブダペスト)まで行く。最後にDeliと書いてあったがまさかインドのデリーまでは行かないだろう。Deli と言うのは食堂車が付いているという意味だろう。同じホームにいくつかの列車が入っては出て行く。日本のように列車の横に行き先は表示されていない。ホームにある掲示板の表示と時計を見て、間違えないように列車に乗らなければならない。

 ホームには沢山の乗客が待っていて混んでいるようなので、一等車はどのあたりに停車するのか聞いて先頭に並んだ。列車が入ってきた、6人が一緒になるようコンパートメントの車両に乗るが、重いスーツケース、リュックを持っているのでスムーズに乗れずもたもたする。取りあえず6人が座れる空いている部屋に入りやれやれ、スーツケースの置き場を考えていると他の客が入ってきた。自分の席だと言う。部屋の入り口に名前を入れるところがあり、2人の名前が書いてある。予約した人の指定席になっていた。予約席にはシートに名前が入った布が掛けられていると聞いていたが、コンパートメントの席では入り口に名札をつける。これは知らなかった。あわてて予約席でない6人用のコンパートメントを探すが、もはやどの部屋にもすべて乗客がいる。ホームで先頭に並んだ意味がなくなった。乗客が1人だけ乗っている部屋があったので、他の部屋に替わってくれないかKさんが頼むと不満そうに何故だと言う。我々は6人のグループだから一緒の部屋に乗りたいと言うと快く移動してくれた。

 日本では鉄道の沿線は途切れることなく家並みが続くが、フランクフルトの駅を出てしばらくすると家並みが途切れ、林の中を走る。ときどき小さな村が現れるがほとんど林と丘陵それにワイン畑である。沿線の林の中に雪が見えてきた。標高が高い所とは考えられないのに雪がある。ヴュルツブルクも雪があるほど寒いのかと心配になった。

 ヴュルツブルクへ着いた。駅の名を確認しながら下車した。大きな駅ではあるがエスカレーターもエレベーターもない。重いスーツケースを持っての階段の移動はつらい。スーツケースを預けるロッカーがあることを祈って探す。あったあったスーツケースを入れられる大きいのもある。これでリュックだけで街の観光が出来る。スーツケースを預けて駅のトイレに行った。男性の小用は無料であるが大用と婦人用は金を入れないとドアが開かない。ご婦人方が言うには、金を入れてもドアが開かないので人が入っているのかと思って待っていると、ドイツ人が来てドアを開けて入っていった。ドアを引く力が足りなかったのだ。そういえばすべて馬鹿力を出さないとドイツでは通用しない。朝食の時、コーヒーポットの蓋がなかなか開かなかった。無理に回して壊わすと困るので、使い方をウエートレスに聞くと簡単に開いた。馬鹿力で回せばよかったのだ、ウエートレスはポットの蓋を普通に閉めたのであろうが、我々が力いっぱい強く閉めたのと同じである。ドイツの女性は力が強い。ホテルのドア、トイレのドアすべて馬鹿力でドォ~ンと音がするくらい開け閉めしないと開かないし閉まらない。

 街には雪がなく良かった。バスターミナルで通行人の若い女性にマリエンベルク要塞へ行くバスはどれか聞くが知らない。インフォメーションへ連れて行ってくれた。若い女の子が対応してくれる。バス停は何処か、歩いて行くと何分くらいかかるか、聞いても的確な返事が返って来ない。英語が話せないようだ。年寄りはドイツ語しか出来ないが、若い子は学校で英語を教わっているから英語は通じると聞いていた。この子はどうも学校での成績が良くなかったに違いない。と勝手に判断して、結局タクシーで行くことにした。私たちが乗ったタクシーの運転手はトルコ出身で「弟が大阪で働いている」と話していた。日本に遊びに来るように勧めたが、「日本は物価が高いそうだ、とても遊びなんかに行くことは出来ない」と言っていた。少し多めにチップを出すと大喜びで、「帰りも電話をくれればすぐ来る」と言った。

 旧市街からマイン川に架かるアルテマイン橋を渡った対岸の丘の上に立つ要塞。紀元前1000年ごろからすでにケルト人がこの場所に砦を築いていたという。そこに1201年現在のような要塞が建てられ、以来1719年まで歴代の司教が住居としており、増改築が繰り返された、と案内書に書いてある。中庭にある主塔(ベルクフリート)は13世紀の建造で直径、高さともに要塞にふさわしい大きな円柱形の塔で、上部に荷物、武器などを運び揚げる手動エレベーターがあり、人は塔の一部になっている外側の階段を登り降りするようになっている。同じく中庭に要塞最古で8世紀初頭の建築物である聖母マリア教会、八角形の建物で保護された深さ104mの井戸があり覗いてみると枯れてなくて水が見えた。マインフランケン博物館、領主館博物館もあるがパスしてフェルステン庭園に出てみるとヴュルツブルクの街が一望でき、すばらしい眺めであった。


マリエンベルク要塞のシェーレンベルク門


ぶどう畑へ通じる遊歩道から見たマリエンベルク要塞


マリエンベルク要塞の外周遊歩道から見下ろしたヴュルツブルクの市街

 要塞の中の急な坂道を下って、旧市街へ通じるマイン川に架かるアルテマイン橋へ。15~16世紀に建造されたもので、橋には聖人の彫像12体が立ち並び、橋の上からは、マイン川、ブドウ畑、マリエンベルク要塞、大聖堂の塔など街を象徴する眺めがすばらしかった。橋を渡りレジデンツへ向かう途中ファーストフード店で昼食を摂ることにした。

 簡単に、短時間で昼食を終えようと思ってファーストフード店に入ったのだが、このファーストフード店は注文した飲み物をさっと出してくれない。1人ずつ注文を受けては作り、精算をしてから次のお客の注文を受ける。何人かの注文を次々に受けて平行して作らない。

フレッシュジュースはミキサーやジュウサーは使わないで人力で絞る。カップ一杯分を作るのに相当な力を要す。これでは時間も掛かるし、女性といえども腕力が強くなるはずだ。ケーキもパンの類も一個が大きい。ピザのような円盤の形をしたパンを買った。直径が30 cm以上もあり、二人でも食べ切れないので他の人にも分けた。

 店の前を高学年の小学生らしい20人位の一団が通る。先生を先頭にカルガモの親子のように行儀良く一列になって通り過ぎた。日本の子供は他の人の迷惑を考えないで、2・3人横になっておしゃべりしながら歩くがここの子供たちは躾がいいのか行儀が良い。


アルテマイン橋の聖人の前で


アルテマイン橋より大聖堂を望む


アルテマイン橋より振り返ってマリエンベルク要塞を見る


大聖堂(St.Kilian)の塔

 昼食の後レジデンツへ向かった。途中イースターのきれいなディスプレーをした店の前を通り過ぎた。少し行ったあたりでK夫人の様子がおかしい。理由を聞くとディスプレーされていた卵が買いたい、でも立ち寄っているとレジデンツを見学する時間が少なくなると言う。ここで買わないといつまでも心残りがするだろう。引き返して店に入った。リューデスハイムにあった店のように装飾に使う小物品が沢山ある。K夫人だけでなく、他の女性軍もいろいろ買うことになった。女性は店に入ると何か買わないと気が済まないらしい。大聖堂、ノイミュンスターのそばを通ったが時間の関係で見学はパスした。レジデンツの近くの路上でぬいぐるみの野ウサギが愛嬌を振りまいている。カードを配っているので何のカードか受け取って見ると、イースターのお祝いのカードを郵便で出すようにと郵便局の宣伝であった。


ファーストフード店の前(幅が異なるいろんなトラムが走る)


レジデンツへ向かう途中の店で何か買っとる


イースターの手紙を出すよう郵便局が宣伝していた
この縫いぐるみは大層愛想が良かった

 案内書によると、1720年ヨハン・フィリップ・フランツ・フォン・シェーンボルン司教は、マリエンベルク要塞に飽き足らず、市内に新しい城を建てた。以来、司教たちの住居となったのがレジデンツである。現在、建物、庭園、建物前の広場がユネスコ世界遺産に指定されている。チケット窓口で「シニアプライスで6人」と言うと「女性2人はシニアではない」と顔を見て言う。シニアではないと言われた2人は若く見られたと言って喜んでいたが、喜んでいる場合ではない。少し若いと言われただけで高い入場料を支払っても良いのか。「みんな65歳以上だ」と言うとパスポートを見せるまでもなく信用してくれた。ロッカールームに荷物を置いて見学するように言われる。

 大戸扉は閉まっていたが、ここまで馬車が入ったという吹き抜けの石畳を敷いた大広間というか玄関が建物の正面中央にある。その奥に天井画がきれいな大きな部屋がある。この部屋の名は忘れたが、客人が着いたときに一時的に入る応接室のような部屋である。

 建物に入って途中二重に折れる大階段が2階へと続いているがこれが階段の間と言われ、アーチ型の天井には18世紀のフレスコ画家ティエボロの手による世界最大のフレスコ画がある。半分は現在修復中であった。階段を2階へ上がった正面には、他の華やかな部屋に対して意識的に色を抑えたスコッタ(漆喰)飾りの見事な白の間がある。ここから奥に進むと、この城で最も豪華な皇帝の間、この部屋の天井画もティエボロによるもので、彫刻とだまし絵を使った立体感のある作品である。この部屋では毎年モーツアルト音楽祭が行われるそうである。そこから両側に控えの間、謁見の間、緑の間、伯爵のホール、黄色の謁見の間等々340室のうちの42室が公開されているが、特別な団体には他の部屋も説明付きで公開しているようである。

 たまたま、ある美術研修のような小さな団体が来ていて、一般には公開していない部屋の方を案内していたので、こっそり紛れ込んで入っていったら、見つかり追い出された。再び入って来ないように錠を掛けられた。外国人の団体に隠れるように紛れ込んでも、日本人の顔ではすぐ見つかる。こっそり紛れ込んでも見つかるはずである。宮殿の南側には、レズデンツに付属するホーフ教会があり、祭壇画がすばらしい。これもティエボロの作品である。レジデンツの周りは美しい庭園が広がっているが、時季が時季だけに花はまだ咲いておらず、内部の見学に疲れたので庭園はパスした。


レジデンツを背景に前庭で記念撮影

 駅へ向かう途中、レジデンツの前の広場でシェパードが子供にじゃれついていた。子供が嫌がっているのに執拗に悪戯をしようとしていた。飼い主が呼び止め「他の人に悪ふざけをしてはいけない」と教えた。犬は飼い主の顔をジィーと見ながら聞いている。その後は悪ふざけはしなくなった。賢い犬である。何せドイツ語が理解出来るのだ。それに比べ我々はドイツ語が全然解らない。本の表題に「猿でも解る・・・」というのがあるが、ドイツ語会話の本で「犬でも解るドイツ語」という表題で売り出せば売れるかも。ドイツの犬は一般的に躾が良く穏やかな顔をしている。大きな犬でも怖さを感じない。電車に乗ってくる犬に沢山会ったが、どの犬も他の乗客に迷惑にならないようにしていて、尻尾を踏まれないように身体につけて座っている。

 Rothenburg (ローテンブルク)へ向かう。Treuchtlingen(トロヒトリンゲン)行きの列車に乗り、Steinnach(スタインナッハ)で乗り換える。ホームで列車を待っていると、中年のアメリカ人男性が「父親がローテンブルクの近くに住んでいる。父親に会いに一週間休暇をとってアメリカから来た。次の列車に乗れば良いか」と尋ねる。「我々もこれからローテンブルクに行くところだ。次の列車で良い」と教えてやる。列車の中が暑い。コンパートメントは一部屋毎に客の好みに合わせて空調が出来るようになっている。冷房が入っていなかったので暑い空気でムンムンしている。車掌が検札に来た。レールパスを見せる前に「部屋が暑すぎる」と文句を言う。廊下の空調のスイッチ入れた。「部屋が暑い」と言うと「窓の上にスイッチがあるから入れろ」と言う。見ると扇風機の絵があり、その両側に zu と aus と書いてある。どちらが on で off なのか解らない。「どうすれば良いのか」と聞くと、車掌が zu にした。「zu が on で aus が off か」と聞くと「そうだ」と教えてくれた。そんなやり取りをしていて車掌は検札を忘れて行ってしまった。zu にしたが降りるまで涼しくならなかった。壊れていたのかも知れない。スタインナッハではスーツケースを持った乗客の乗り換えが多いのか、階段の端にベルトコンベアーが回っており、階段を下りたり、上がったりするとき、スーツケースはベルトコンベアーに乗せれば良いので楽である。乗り換えが便利だ。

 スタインナッハとローテンブルクの間を走っている列車の車両は新しくきれいである。ドアもボタン式でボタンを押せば開く。今まで乗った列車はみな古い車両であった。ドアもハンドルを回して開ける。日本の列車は電車か気動車で機関車が引っ張るものは殆どない。ドイツは近郊の列車(Sバーン)や地下鉄(Uバーン)は電車であるが、長距離列車は機関車で引っ張り、車両は昔の日本の車両のように重量感のあるものである。古い物を整備をして大事に使っている。

 ローテンブルクまでは畑の中を走る。途中で停車した。こんな畑の中で何故止まったのか。不思議に思っていたら駅の名らしい標識が一本立っている。駅舎もなく、6・7台置ける自転車置き場の小さな小屋があるだけだ。日本は無人駅でも駅舎はあるが、ここは無人駅どころか無駅舎駅である。バスの停留所と同じだ。

 ローテンブルクに着いた。駅前は思ったより整備されている。田舎の駅とは思えない。旧市街へは徒歩で20分位とは思うがスーツケースを持っているのでタクシーを使いたい。駅前は立派に整備されているが、列車が着いたばかりなのにタクシーが一台もいない。案内所で尋ねると「タクシー乗り場があるからそこで乗れば良い」という。タクシー乗り場は見つかったがタクシーはなかなか来ない。また案内所に引き返しタクシーを呼んでくれるよう頼む。

 親切な案内所の職員はタクシーを呼んでくれた。人数も6人なので6人が乗れるワゴンタクシーが案内所の駐車場にやって来た。女性ドライバーは愛想がよくニコニコしている。ローテンブルクも観光客が増えたのか、市壁の外も街が広がっていて、小さなホテルや店が建ち並んでいる。車で市壁内の旧市街地に入るには車の通れる門が限られているため、少し遠回りをして入って行った。市壁の外の街は今時の建物が多いが、城壁の中は中世の町並みそのままである。

 日本の皇族をはじめ世界中の VIP が利用するという Hotel Eisenhut(アイゼンフート)に着いた。15~16世紀に貴族が住んでいた館を改造したホテルと聞いていたが、思ったより間口が小さい。市庁舎と教会は大きな建物であるがそれ以外の他の家はみな同じような大きさの建物である。中は結構広く、目に入っただけで食堂が4つあった。VIP 級が宿泊したとき、主賓とお付きの連中がそれぞれ別の食堂で同時に食事が出来るようになっているのかも知れない。我々も夕食と朝食は別の食堂で食べた。壁クロスのデサインや調度品は由緒ある物のようであった。受付、ロビーの壁や梁をよく見ると壁クロスの下地は石である。この建物は石で造られた建物であることが分かった。部屋もシティホテルのように画一でなく、一部屋一部屋、造りと壁クロスの模様や色使い、調度品が異なる。私たちが宿泊した3つの部屋を見比べたが、Kさん夫妻の部屋は若い女性好みの感じで、ベッドの1つが控えの間のようなところにあり、お姫様とお付きの婆やか下女が泊まるような部屋、Kさんの妹たちの部屋は若い女性の2人連れか、新婚夫婦が泊まるような部屋、私たちの部屋は風呂、洗面所、トイレも広く大人2人が泊まるような部屋という感じであった。私たち夫婦の部屋が一番良かった。こんな部屋で煙草を吸うと壁クロスが汚れて困ると思うのだが、そこはドイツである部屋に灰皿は置かれていた。

 今日は1日中歩き回り、Kさんも膝が痛いというので、夕食は外のレストランへ出かけず、ホテルの食堂で食べることにした。細身のウェートレスとデブッチョのウェートレス2人がサービスしてくれた。飲み物は誰もアルコール類は飲めないので、それぞれジュースを注文した。ジュースの種類は5種類あると言うので、チェリーのフレッシュジュースを注文すると、「瓶詰めの物はあるが、フレッシュジュースは生の実を搾るので今の時季はチェリーが実る時でない。残念ながらサービスできません」と丁重に断られた。仕方がないのでオレンジジュースを注文した。食事は、ビュフェ形式の食堂であれば、好きな物を好きなだけ持ってきて食べれば良いが、Menu を見ての注文は困る。なにせ書いてあることが理解できない。

 このような雰囲気の良いホテルの食堂では恥ずかしいと思ったが、料理は1人前を2人で食べる注文をした。変なオーダーの仕方をする客だと思ったのかデブッチョのウェートレスが私の後ろで溜息を漏らした。その時の鼻息がすごく、私の残り少ない頭髪が鼻息で揺れた。しかし、注文した通り、1人分の量を半分にして、きれいに盛り付けてサービスされた。さすが一流のホテルである。

 夕食が終わり部屋へ帰ると、ベッドの傍の床にハンカチの様な白い布が敷いてあり、枕の所には小さなチョコレートが置いてあった。これは、チェッインのときには勿論ベッドメーキングは出来てはいるが、床に敷かれたハンカチの様な白い布はベッドに入るとき靴を脱いで足を置く所だそうです。チョコレートは「お休みなさい」という挨拶だそうです。近代的なシティホテルではこのような事はしないが、伝統的なドイツのホテルではこのようにするそうです。